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私が育ったまち。

比べるためのモノサシ。
私の根幹にあるものは今住んでいるまちでの生活から生まれた。
今回は私の育ったこの「まち」について。


場所

生まれは関東。空港がある街。緑に触れることのできる場所で育ってきた。
車が走りやすい広い道路と生活するには何も困らない量の商業施設を兼ね備えた住みやすい場所。自転車も通れるほどの幅の歩道には街路樹の根が浮き出ている。大通り沿いには国会の敷地面積よりも広いイオンがある。最近名前を変えたイオン以外の百貨店もある。大型のスーパーが1キロ圏内に4つもある。主要道路の周りにはチェーン店が立ち並んでいて空きテナントはほとんどない。大通りを少し外れると個人経営店も長く細く続いている。それらの反対の道を10分も歩けば田畑が一面に広がっている。1haもないほどの小さな畑にどこまでも続いていそうなほどに広い田んぼ。そしてその間には少し古びた一軒家。森の中に入ると遮断桿のない踏切がある。両脇50m何もないところにスナックがある。竹藪は間引きしきれなかった茶色い竹で溢れかえっている。道路はレトロなズボンの如くつぎはぎになっている。線路沿いには何年も前から都心に少しでも早く近づくための新しい道が作られ続けている。

時間

夜中3時になると新聞配達の人が朝を連れてやってくる。日が昇っていなくとも「明日」が来たことを告げる。気がつくと窓の色が朝に変わっている。やんわりと朝日が昇った途端、近所の人たちは活動し始める。
夜は人通りが少ない。住宅街は21時を過ぎると寝静まる。大通りでは暴走族がバイクを鳴らして走っている。駅前は夜をたのしもうとする大人たちがちらほら。

季節

春、家の近くを少し歩くと桜の木がそこら中に綺麗な花を咲かせている。近所の公園のほとんどが桜の木。ピクニックをする親子、キャッチボールをする小学生、散歩している夫婦。観光地に行かなくてもここで全てが完結する。人目も少ない。何も気にするものはなく、写真も取り放題。ただそこに綺麗だなと思える景色があるだけ。
夏はひたすら暑くて蝉の声が鬱陶しいくらい響いている。家の少し先にある田んぼはまばらな色をしている。
住宅街が金木犀の香りで包まれるとやっと暑さが落ち着いてきて、短い秋がやってくる。公園の葉の色が秋を思わせる。こたつとみかんが恋しい冬が来る。雪が降った日は特別な1日になるような冬。


田舎でも都会でもない。不便もない。

そんな街で育ってきた。


「住む」と「生活する」

私のいる場所は、住むための街だと思う。
私の訪れた北海道の街は生活するための街だと思う。

住むという言葉は名詞が大切にされている。
生活という言葉は動詞を大切にしている。

と、思う。

いつか生活するためのまちに住んでみたい。

あとがき

何をするにも「部屋が散乱しているしな」という状況がやる気を削いでくる。
とりあえずあまりにもモノが散乱した自分の部屋を片付けよう。明日こそ。

片付け終わったらまた更新します。



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