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第二子について考える

娘はもうすぐ一歳。
二人目について考えることが増えた。
正確には夫に話を振ることだ。

というのも、娘を産んだ後からすぐに「二人目産む時もこんなに痛いの!?いや~」といらぬ心配をするくらいもう一人産みたいと思っていたから。

夫はこの子を妊娠する前から「一人っ子がいい」と言っていたので、その話をするとなんとなく茶化して濁されることが多かった。

一昨日、いつもより少し真面目な感じでこの話を振ると夫に結構きついことを言われずどーんと落ち込んだ。
(今もちゃんとできないのに二人も育てられるの?的なことと女としての自分磨きを優先したら?的なこと。わが夫はモラハラ気アリです。)

ところが翌日
①第二子を望む理由
②第二子を望む理由(一般的に)
③第二子を作るうえで必要なこと
をまとめてほしいと言われた。

わが夫はぐだぐだした話し合いが嫌いだけど、論点をまとめて相手の考えを聞くのは好きなのだ。変だ。
(ちなみに私はぐだぐだした話し合いが大好き。)

まとめていると自分の中で色々考えることがあった。

①について
・子供の誕生を経て人生の最も幸福なことだと私は感じたから
・娘にとって兄弟の存在は成長につながるから
・将来兄弟の存在は心強いだろうから

②について 適当にぐぐってでてきたこと
・子の精神的成長や社会性の習得につながるから
・家族が多いと賑やかだから
・子の遊び相手になるから
・子がかわいいので欲しい、違う性別も育ててみたい
・子が将来心強いだろうから

③について
・私の情緒が安定していること
・経済力(とはいえいくらでOKだんているのか?)
・パートナーへの信頼
・お互いが同じように子の誕生を望むこと

まず、私が考えていて思ったことは…

第二子に健康上の問題がないことを前提としている自分。
二人目を望む理由の多くが何も障害のない子を想定している気がしたのだ。
私が育てて愛でる分には良いけど、娘のためって理由には当てはまらない。

第二子は出生前診断をしたという友人がいるのだけど、その子曰く自分だけではなく上の子が負担なるからとのこと。その話を聞いた時はぴんとこなかったけど、確かにそのくらいの気持ちがないと二人目は望めない気がした。

次に二人目を望む理由の多くにある娘の為の項目は全て勝手なこじつけな気がした。
確かに兄弟がいたら楽しいだろうし、学ぶことも多いだろうけど、一人っ子でも従妹や友達からたくさんのことを学べる。それに、将来本当に信頼し合える兄弟になれる保証なんてない。
実際私の夫と夫の弟は仲が良くない。
単に親のエゴでかわいい子供がもう一人欲しい!それに尽きる気がした。

だから、もう一人欲しいは、私の欲望でしかないと思った。
同時にそれは人間の本能的なものだし別に悪いことではないとも感じた。
それくらい娘が私に幸せを与えてくれたのだから。

でも、私は娘が成長するにつれすごく寂しさを感じていて、それを次の子で埋めようとしているのではないかとも思った。
新生児期の娘にもう一度会いたい。
ねんねしかしていなかった娘にもう一度会いたい。
ママを追いかける娘のママでずっといて欲しい。
まんまるしている娘のままでずっといて欲しい。
そんな時に感じる寂しさを「また下の子でも味わえる」でごまかしている気がした。

どこまでいっても自分の欲望だなと呆れてしまった。
今の娘にはもう二度と会えないし、人は変化していくものだと改めて自分に言い聞かせる。

さらに、私はこうも考えた。
夫が私との育児を負担に感じているなら、尚のこと欲望のままに第二子を望んではいけないと。
私は娘の世話を幸せに感じているけど、産後の情緒不安定さで夫に当たり散らかしている。
特に生理が来るとヒステリックにもほどがある。
おそらくそういう姿を見て夫は二人目をためらっているのだろう。

二人目を望む私の欲望は自分の中で肯定できるけど、
それで人に負担をかけているのなら望んではいけないのかもしれないと思った。

年齢的にもう少し猶予がある。
すぐに第二子を望んだのは自分の社会復帰(というか復職)のことを考えてだったので、そこもまた自分の欲深さだなと思う。

今は三人の家族での生活を幸せにすることを優先した方がいいのかもしれない。
幸せを追い求めすぎて、目の前の幸せを享受できない人間になってはいけない。

夫と娘との三人での幸福を大切にしたい。


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