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おめでとう。陽のあたる部屋で。

高校時代の親友が出産した。
友達の出産はいつだって嬉しいけど、その知らせは特別だった。

去年、私が赤ちゃんを産んだ時に彼女は実家に来てくれて、「かわいいね。かわいいね。」と何度も言った。
産後のメンタル不安定期に会いに来てくれた友人は生涯大切にしたいと思うほど嬉しかった。
(そもそも私は家族婚だったけど結婚式に参列してもらうよりも産後子供に会いに来てくれたほうが嬉しいんじゃないかなと思っている。)

話の流れで彼女は私に不妊治療をしていることを打ち明けてくれた。
私は遠方に住んでいて、看護師として働く彼女とはコロナが流行してから直接会うことがなかったから近況を知らなかった。
彼女は泣いていた。でも、涙を拭いて笑顔を浮かべていた。

高校時代、保育園や幼稚園の教諭になるか看護師になるか迷っていたくらい子供が好きで、普段は大人しい性格の彼女が20代中ばから婚活に積極的だったのも早く子供が欲しいからだと知っていたので、より複雑な気持ちが胸に浮かぶ。

その後、私はしばらくそのことを考えていた。
考えれば考えるほど、私には何もできないなと思った。
優しい言葉かけも、何もなかったかのように元気に振る舞うことも、ちょっとした贈り物も、何もかもふさわしくなくいと思った。私の自己満足に過ぎないなと感じたから。
だから、もしも彼女が妊娠して出産することが出来たら、ものすごく祝福を送ろうと心に誓った。

その時、不思議なことに彼女が赤ちゃんと一緒に過ごすお部屋が頭の中に浮かんだ。そこは日差しを浴びてぽかぽかとしていて、乳幼児のいる不思議な匂いがして、たくさんの出産のお祝いが並べられている。
いつかその部屋を訪れたいと思った。

それから本当に奇跡みたいなことに、彼女はすぐに自然妊娠をして出産することが出来た。

産まれてきた小さな赤ちゃんに会いに行ったその部屋は、私が頭の中で思い描いていたよりもずっと生活感のある、現実的なお部屋だった。
想像のお部屋はテレビドラマのセットのようなおしゃれすぎる場所だったから。
訪れた日は雨が降っていて日差しなんかなかった。

でも、そこは赤ちゃんのためにぽかぽかと温かく快適で、スヌーピーやら統一感のないキャラクターものの毛布やタオルが心地よく並べられていて、彼女の妹のおさがりだというバウンサーや彼女が赤ちゃんの頃に使っていたという時代を感じるベビーベットが置かれていた。もちろんその中で赤ちゃんが横になっている。赤ちゃんらしい白いフリルのロンパースがよく似合う。
それは私が頭の中で思い描いていた以上に、幸せなお部屋だった。

二ヶ月のちいちゃな赤ちゃんは、普段は泣いてばかりだというのに、見知らぬ人間の訪問にただならぬ空気を感じているのが、目をぱっちりと開きこちらを見ている。

本当はびっくりするくらいのたくさんの贈り物や、いかにこの出産が嬉しかったかの手紙なんかも書きたいと思ったけど、私にしてもらったことと同じような出産祝いとお気に入りのお菓子をプレゼントした。
でもどうしても伝えたくて、帰ってからのお礼のラインで「すっごく嬉しい」と書いた。

彼女とは、出産の壮絶さや産後のイライラなどを一時間程度話した。
やっぱり私はこの時間がとてもとても大切なものに思えた。
出産後に友達に話を聞いてもらえたことは私にとってはめちゃくちゃありがたいことだったし、図々しいけど彼女にとってもそうだったらいいなと思った。

私たちはあまり特別なことは話さないし、趣味も違うし、価値観も全然違うのだけど、なんとなく相性が合う。
頻繁に連絡を取り合わないし、めちゃくちゃ会話が盛り上がって爆笑し合うこともないんだけど笑、でもお互いの近況を細々と伝えあって、優しい言葉をかけあうようなそんな関係。

出産だけが幸せではもちろんないのだけど、願っていた彼女に幸せが訪れて自分のことのように嬉しかった。


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