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20XX年、不登校がなくなる日

世界規模でSDGsの理念や実践が広がっている。20XX年、行き過ぎた経済格差と分断に辟易した人類が、ポスト資本主義社会を希求するようになり、サーキュラーエコノミーを軸にした技術革新によって、長年危惧されてきた地球温暖化や自然破壊、資源の枯渇化に一定の歯止めが掛かっていることが、この数年の地質調査や気象学の解析からわかってきた。

日本では、絶滅危惧が懸念されていた動植物(レッドリスト)は増加の一途をたどり、2020年代にはその数約4000種までに昇っていた。その後一部は、絶滅という運命を回避できなかったが、約1000種がその後個体数を増やし、安定的に生息していることが確認され、レッドリストから除外されている。

20XX年、年功序列、終身雇用を前提とした働き方も今ではまったく様変わりし、いわゆるパラレルキャリア的な働き方が一般化している。複数の企業に同時に籍を置くビジネスパーソンもいれば、フリーとして独立し、さまざまなな企業や行政などの組織と連携しながら専門性を発揮する人もいる。いわゆる家事をしながら、パートタイムで外に働きに行くこともパートタイマーとは言わずにパラレルキャリアの一形態と見なされるようになった。家事労働の価値が正当に認められるようになったのだ。例えば、企業に籍を置きながら、週末NPOや地域の住民活動に関わる人もパラレルキャリアと見なされるし、私のような趣味の活動においても、個人の楽しみだけでなく、公平で公正なコミュニティ運営を行う場合はパラレルキャリアと考えられるようになった。

このようにパラレルキャリアが普及した要因は、それまでの働き方に対する閉塞感や結果としての非生産性という問題への対処という側面もあったわけだが、直接的には、政府がパラレルキャリア税制を導入し、パラレルキャリアを行う人の所得税割合を一気に1/2に引き下げたことが大きい。その際、上記のようなパラレルキャリアの概念(範囲)が拡大解釈され、一気に対象者が増えたのだ。2020年代では国民の約30%に留まっていたその割合が、今では国民の約85%に相当し、それは学校に通っている(はずの)18歳以下人口の人々と病気療養等により就労不能と見なされた人々を除くほとんどの国民に当たるくらいになのだ。

国民の大半が、税制優遇により、その行動を変えるのだから、資本主義社会の基本装置である「お金」中心主義は、まだこの国や、そして世界をも席捲している。『絶対的貧困』(世界銀行がその都度定めるが、20XX年においては、1日3.15ドル未満の生活)レベルの家庭の割合は、全世界の0.9%となり、この定義を定めて以来最も低い数値にまで大幅に改善しているが、可処分所得の1/2以下を基準とした『相対的貧困』に関して日本では、約10%という割合をここ数十年堅持しており、これ以上の改善は難しいのではないかとさえ言われている。

このように経済格差そのものは、日本において目立った改善は見られない。しかし、ベーシックインカム制度を導入し、独自のトークン(通貨)を地域住民に毎月払い出し、住民の一定レベルの生活保障と地域経済の活性化を推し進める地方自治体や地域コミュニティが現れ始めた。その結果、住民のウェルビーイング度も上昇し、地域やコミュニティへの参画意識も増すことから、持続可能なコミュニティの形成に一役を担っているという実証実験の報告が続いており、近年、注目度は急上昇だ。

このように世界においても、この国においても、人々の暮らしは改善の方向にベクトルは向いているように思われる。そう、ある一部を除いてだが…

学校は、社会の装置である。特に公教育においては、国力維持、その社会の基盤となる人材を生み出す主要装置のひとつと見なされてきた。それは戦時中の「富国強兵策」の時代もそうであったし、戦後のいわゆる「民主主義」社会の形成によってもそうであった。結果として、昭和の高度成長を支える一面もあっし、バブル経済を野放しにした面もあったかもしれない。いずれにせよ、《誰もが行くべき場所》として学校は認識されていた。

一方、学校は、社会の歪(ひずみ)を色濃く反映する場でもあり、いじめ問題なども注目された。詰め込み教育、体罰などは、時代の流れの中でときには受容され、ときには大きな批判の的とされた。

そんな中、子どもたちの中には「学校に行かない」という選択をする者が現れわれたが、昭和の時代は、それは家庭の事情(経済的理由)であったり、特異な子どもの問題行動として扱われ、例外的存在と位置づけられた。

平成(1990年代後半~)になり、不登校者は10万人を超えた。しかし学校教育の在り方は基本形は変わらなかった。一度「ゆとり教育」政策によって、その在り方が変わるチャンスはあったが、経済合理性を強く求める世論に押し戻され、変化の芽は摘み取られた。

令和の時代になり、新型コロナ(COVID-19)が世界的に蔓延し、パンデミックとして脅威の対象となった。日本においては、2020年3月、当時の安倍内閣が全国学校一斉休校の措置を発する。その瞬間、学校という装置は《行かなければいけないもの》から《行かなくてもいいもの》という市民権を得たのだと思う。

オンラインが普及し、学校という物理的装置が無くとも、公教育が存在できるようになった。もちろん、学校という装置の中で展開する教育とオンラインで実現できる教育では、その質も内容も違うものとはわかっていたが、すでに物理的装置としての学校は《行くべき価値を見出される》場所ではなくなっていった。そして2020年代後半、不登校者の数は30万人を超えた。

代替機関としてのフリースクールや通信制高校の台頭など、選択肢の多様性も見られるようになった。また、アクティブラーニングやPBL(問題解決型学習)など、子どもたち個々人の自発性や興味関心に基点を置く授業法もさまざまに導入された。

確かにそれによって「学校」に回帰した子どもも一定数いたにはいたが、不登校者の数はその後も止まることなく増え続け、20XX年、その割合が、子どもたちの7割に達しようとしていた。それら不登校者の約半分(つまり全体の35%)は、フリースクールなどの私的教育機関に籍を置いたが、残りはまったくどこにも属さない存在となっていた。

20XX年、同年代人口の約1/3しか「学校」に通わなくなり、「不登校」という概念自体が意味を無くしつつあった。政府は、翌月以降の公的文書から「不登校」という表現を削除することを閣議決定。それを受けて、マスコミ各社も「不登校」という言葉を使用しなくなり、世の中の人々も「不登校」という言葉を記憶から葬り去った。人々は、血液型がA、B、O、ABに分かれるのと同じ感覚で、「学校に行ってる人」「フリースクールに行ってる人」「ホームステイしてる人」とただその状態を能動的に捉えて、呼び合うだけになった。

しかし、学校という装置は、明治以来の形をかたくなに維持していた。いろんな教授法が試され、成果を挙げてはいたけれど「先生がいて、生徒がいて、教える」という基本形は変わらず、画一的な知識伝授に力点を置いていた。その結果、多くの子どもたちの心や身体は、学校に回帰することはなかった。まるで学校は、学校そのものが変わらぬことが学校自身のアイデンティティーであるかのように、その形を全うした。

そんな中、ひとつだけ、新たな潮流が起きていた。かつて「学校」に通った大人たち(中には子ども時代に不登校だった人も含む)が学校へ回帰してきているのであった。それは小学校や中学校も含むすべての学校へだ。まるでリカレント教育(大人の学び直し)の拡大版と言って良い現象であった。大人たちは、実質的に、ときには形式的に、義務教育課程をすでに修了している人たちばかりであったが、文部省および各自治体の教育委員会は、そういう大人たちの小・中学校への受け入れを是認したのだ。その数、なんと年間約700万人。20XX年、世の中から「不登校」はなくなり、学校という装置には大人たちが溢れかえったのである。

(おわり)





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