ゲンロンSF創作講座 便乗小説#01「セヴンティ」 (2)

2 レジデンス

 私が70歳で、今でも働いている、ということを、私のことを良く知らない人へと話す機会があると、えーっ! と驚かれてしまう。私の代わりに、私の状況へと怒ってくれる人もいる。どうしてこの国は、これまで苦労してきた人を……というわけだ。その度に、私は居心地の悪い思いをしてしまう。私は全然苦労なんてしていないし、それに、今も望んで働いているのだから。色んな考え方の人がいるのは分かる。けれど、私は、歳をとっても仕事ができるというのは、幸せなことじゃないかと思う。「仕事を持っている人は強い。仕事とは、経済的報酬を得るものという意味だけでなく、生活の”核”となるものと私は呼びたいのです」先月に読んだ本にも、そんなことが書いてあった。それに私はまだまだ元気だし、簡単に疲れたりもしないし、移民のミドル・エイジたちにだって負けていないと思う。若い人たちは、Weltに入れない私みたいな老人は、それだけで大切なエネルギーの無駄遣いをしている、なんて考えているそうだ。リアルクローズや紙の本、リアルフードをわざわざ欲しがるし、あちこち移動しようとするし、若い人の20倍もCO2を排出して、EF(エコロジカル・フットプリント)の値を増やしているというのだ。そんなときに、私のように仕事をしていれば、胸を張って言い返すこともできるではないか。

 松濤レジデンスのセキュリティはとても厳重だ。あんしんバンドだけではなくて、5紋認識が行われる。建物に立ち入るときには、皮膚からDNA検出までされる。そのくせ、バッグなんかの持ち物は全然検査されないのだから不思議だ。まあ、所持品なんて呼べるものを持っているのは、今では私の世代くらいだからかもしれない。私のiPhoneもおとがめ無しだ。

 F区の松濤レジデンスは、もちろん知らない人もいないと思うのだけれど、東京5大レジデンスの1つである。松濤から渋谷・原宿まで長く伸びたビルの並木道。地上30階建てに、各階80ほどのシャーレがあるので、おおよそ2000人ほどが住む。上から5つのフロアは高級階で人口密度が少し低めなのだけど、どうせ一日のほとんどをシャーレの上で過ごすのだ、魅力に乏しいらしく、定員に満たない棟がほとんどなのだそう。2000人✕200棟で40万人。大変な人数だと私は思う。

 出勤すると、私はまず、敷地内のリニアレールから降ろされたコンテナを回収する。どしゃん、と重たい音を立てて落下するコンテナを見るのは楽しく、ストレス解消にぴったりだ。自動化されているから、私の役目はほとんど見守るだけで、時折荷物のズレをパネルで直すくらい。コンテナを地下倉庫に運ぶと、荷解きが行われる。これも自動。私はケアターミナルを従えて、レジデンスの1階へと登る。

 さぁ、っと風が吹いた。地平まで広がる草原は、南米の湿原にしか自生しない黄金色のホシクサ化の植物で、永遠に続く夕日を反射して輝いている。空は高く広く、見上げればやがて自分を見失い一面の青の中へ溶けてしまいそうなほどに澄んでいる。時折東から西へ、小さくモコモコとしたひつじ雲が群れを成し、空に溶けていた意識が我に返り、視線を落とせば黄金の草原の中にも、ぽつ、ぽつと小さな羊が歩いている。まばらに生えている樹木は、どれも種類や形が異なっていて、いくつかは果実をつけていたり、枝垂れた先に風景とミスマッチな真っ青な葉をつけたものもある。

 そうした風景に見えるらしい。彼らには。Weltに入れない私にはこう見えている―体育館のように広い空間、床も壁も天井も真っ白で、そこにぽつ、ぽつとシャーレが置かれている。奇妙な樹木たちの正体は、このシャーレの1つ1つなのだ。そういえば、この間知り合った移民四世の女の子が、まだシャーレを見たことがない、というので驚いてしまった。「それって、どんなものなの?」自分のよく見知っているものを説明するというのは難しいものだ。しどろもどろになっているうちに、彼女の父親がやってきて、棺桶(coffin) だ、と教えてしまった。そう呼ぶ人が多いことは知っている。確かに、形も大きさもそれぐらいで、そこに人間が横たわっていることも同じなのだが、私はこの呼び方は好きではない。だってそれでは、まるで私が、死体をお世話しているみたいではないか。シャーレは、Weltとともに、「世界を救うデバイス」として生みだされた。そして、数えきれないほどの日本の若者が、その中で幸福に暮らしている。私が若かった頃は、「ロストジェネレーション」なんて呼ばれるし、周りから「お前たちはいつになっても幸せにはなれない」なんて言われ続けて、本当にひどかった。せっかく命を授かったのに、生まれたときから「不幸になる」と聞かされる子どもは、かわいそうだ。私の世代の人たちは、それが身にしみている。だからみんな、自分の子どもたちには、孫たちには、「良い時代に生まれてきたね」と言えるようにしたい、と願ってきた。それを叶えるため、科学者も、政治家も力を合わせ頑張って、そして今がある。棺桶などと言わずに、希望のゆりかご、と呼ぶのはどうだろうか。そういえば、昔のイギリスの首相、サッチャーの有名な言葉を引いて、「ゆりかごから墓場までこれ一台」と宣伝していたこともあるらしい。おっと、これではまた棺桶の話になってしまう。

 自動運転のエレベーターが送ってきたパックフードを配っていく。まれにシャーレの位置を変える人もいるが、パックにプリントされたチップが、誰に渡せばいいか教えてくれるので簡単だ。私の受け持ちは5階までなので、一時間を使って、400個ほどのパックを配る。そこそこ長い距離を歩きまわるので、運動にもなってちょうどいい。

 それから、ケアターミナルの作業に移る。最近では全自動・メンテナンスフリーのシャーレも出てきているけれど、まだまだエネルギー負荷の大きい高級品だ。すぐにEF (環境容量) をはみ出してしまうので、かなりの我慢が必要になるし、それを好む若者は多くない。そんなわけで、大半の人は古いモデルのシャーレを使い続けており、機能の弱さを補うために、私とケアターミナルの出番、というわけだ。

 今日最初にお世話したのは、まだ15歳くらいの少女だった。伝導液がだいぶ濁っていたので、アラートを出すと、彼女は、面倒くさそうに口元をへの字に曲げて起き上がった。ゴーグルは外さない。彼女の眼には、私は二足歩行する羊に映っている。

 ケアターミナルに、悠々と裸で腰かける姿は、まるで女王のようだ。その彼女も、今は私のされるがまま。彼女のシャーレは中古品らしく、洗浄ユニットの調子が悪いのだろう、毛穴の汚れが落ちていないし、老廃物のカスもしっかりこしとれていない。シャーレを自動洗浄モードにして、私は彼女の肌をタオルで拭いていく。十代の肌は本当にきめ細やかで、私は少し涙が出そうになる。私は嫉妬なんかしない。あまりに美しくて、尊く思えて、胸が一杯になったのだ。シャーレには、股間を覆うトイレユニットがついていて、大小便を処理してくれるのだけど、彼女はまだ身体が小さくてユニットが合っていないのだろう、お尻の辺りがちょっとだけ汚れていた。私はまず、シャーレのトイレユニットをしっかりと拭き取り、消毒し、それから彼女に向き直ると、ケアターミナルのイスを深く倒し、両足を上げて、丸見えになった陰部を見ながら肛門の周りを綺麗に拭き取った。そういえば、私が若い頃は、若い人たちが老人の身体を拭いて、お風呂に入れて、お尻を拭いていた。実は私も、介護の仕事を経験したことがある。私のお世話していたおばあちゃんたちは、色々うるさいと感じるときもあったけれど、気持ちよさそうにしてくれてたし、私の目を見て色々と話しかけてくれた。いつかは私も、こうして介護される側になるのかな、と思っていたのだけど、反対だ。今では私のような老人が、若い人の身体を拭いて、お尻をきれいにしている。シャーレに暮らす人々は、いつもゴーグルを外さず、まるで私がいないかのように振舞う。お尻を拭き終えたとき、彼女はぷうぅ、と小さなおならをした。

 私は、ケアターミナルを、フィットネスモードに切り替えた。筋肉に圧力と電流を加えることで、トレーニングしたときと同じ効果を生み出せるそうだ。けれど、そうして得た筋肉はどこか不自然に見える。私の腕みたいに、引き締まった感じにはならない。こんなに綺麗な身体なのに、もったいないな、と私は思うのだけれど、若い人たちはWeltの中でどんな姿にでもなれるのだし、現実の肉体なんかは動きさえすれば構わないのだろう。

 私たちの目の前を、ロボット掃除機が通り過ぎ、辺りに投げ捨てられているパックフードのパッケージを回収していく。彼女には、それも野うさぎに見えるらしい。女王様は、私に手を引かれて、再びシャーレの寝台に横たわった。高機能シャーレのエネルギー負荷は年々下がってきていて、人間の手は不要になりつつある。それで、2000人もの人が暮らす1棟を数人で管理できてしまうのだった。実際、こうした作業も午前中で終わり、あとは地下の事務所で待機しているだけ。ときどき、3Dモデラーが動き出し、製作されたなにやら奇妙な、私には何に使うのかまったく分からない部品を、注文主に届けたりすることもある。それだって、全部シャーレの中の誰かが命令していて、私はそれを運んでいくだけのことだ。

 午後になって、私は1つミスをした。口元にも身体にもしわがあって、筋肉はたるみ、もちろん私よりも年下なのだろうけど、でも私以上にお年寄りに見える女性。手を引いてケアターミナルに座らせようとしたとき、ぐっ、と彼女の体重が私の肩にかかった。何が起こったのかも分からないうちに、私は床に倒れていた。顔を上げると、女性の方はケアターミナルの椅子にもたれかかっているのが見えた。口元には、どこかにぶつかって切ったのだろう、小さな傷が見えて、そこにぷっくり、と血の玉ができている。私は驚いて、あたふたして、マンガのキャラクターみたいな身振りで、手をばたばたと動かした。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、大丈夫ですか、ごめんなさい」彼女はバッと顔を上げ、私の方を見て、何か言おうと口を開き……何も言わず、宙に指を走らせた。ゴーグルのLEDライトがめまぐるしく点滅する。なんらかのメッセージが、サーバーへ送られ、人工知能の要約を経て、マイルドな言葉へと変換されて私の「あんしんバンド」に表示される。『注意すること。私を起こし治療しなさい』しゅん、としてしまった私は、なおも謝罪の言葉をつぶやきながら、彼女を抱き起こし、ケアターミナルを治療モードに設定した。ごめんなさい、足がすべったの、ごめんなさい。彼女の手が私の頭に載せられて、なで、なで、なで。優しく動く。

 許されたのだ!

 はっと私は私の撫でられている頭を上げて私の胸の中にある私のこの今の私の喜びの気持ちとそれに跳びはねる心臓の鼓動をどのように彼女へと伝達しようかと迷いながらしかし私は気付いてしまう。顔を挙げた私のその顔を彼女は撫で続けて私の鼻水が付着したその人差し指と中指の隙間から見えた彼女のゴーグルの内側に映る私の姿は可愛らしい二足歩行の羊で、私のまだ名前の知らないような感情が生まれる深い場所から湧きだした誠心誠意の謝罪の言葉は、

 めぇ、めぇ、めぇ。

 羊はとてもかわいいと思う。確か私が5歳くらいのとき、夜に大きな地震があって、私はそれから眠るのが怖くなってしまった。そのとき、私の母が私に、羊を数えると眠れるよ、と教えてくれて、一匹の大きな羊と沢山の小さな羊のぬいぐるみをプレゼントしてくれたのだ。私は大きい方の羊(めいちゃん)を抱いて、小さい方の羊(ちびちゃんたち)を枕元に並べて数えていたのだった。初めて牧場で生きた羊に抱きついたときは本当に感動した。けれど今の日本に羊は一匹もいない。病気の感染源になりやすいというので制限された結果である。そうした経緯で、Weltには今や失われた羊がさまざまな形で登場するようになったのだという。めぇ、めぇ。私はかわいいだろうか。

 本当に羊になってしまった自分を想像して、猛烈におかしい気持ちがこみ上げてきた。お腹を抱えて大笑いしてしまいそうになったけれど、異常行動とみなされて、仕事から外されたりしても損だ。めぇ、めぇ、めぇ。私が羊だとしたら、それにかしずかれているお前たちは一体何なのだ?

 何歳になろうと、どこで働こうと、仕事終わりというのは嬉しいものである。今日も1日働いたぞ、という充実感。少し疲れてぐったりとして、火照って重たい身体なのに、胸の辺りはうきうきと跳ねており、そうして足どりも弾むようになる。仕事があることのいいところは、こうして生活にメリハリが生まれることではないだろうか。

 私は事務室を振り返り、エネルギーレス・ディスプレイに映る2000のライトを畏敬の気持ちで眺める。幸せの灯火。私が彼らの生活を、幸福を支えているのかと思うと、やりがいと大きな責任感を感じる。私の父は戦後まもなく生まれ、高度成長期をがむしゃらに一生懸命に生きてきて、日本という国を豊かにはできたけれど、お金だけで本当に子どもたちは幸せになれるのだろうか、と悩んでいた。私の母は、父が亡くなった時、ちょうどアメリカでの大きなテロがあり、その後も戦争や様々な問題を抱える世界を見て、この国はどこへ向かうのか、そこで自分たちの子孫はどうなるのだろうかといつも心を痛めていた。私自身は子どもを持たなかったけれど、その代わりにいま、若い人たちのために働いている。天国にいる父と、たぶん地獄にいる母に、私は胸を張って言ってあげたい。お父さんとお母さんのおかげもあって、私は、私の世代は、若い人たちへ、子どもたちへ、孫たちへ、本当に幸せな未来を用意して上げられたのだと。私たちは生まれてくる赤ん坊に、良かったね、この素晴らしい世界(Welt) に生まれてきてよかったね、と微笑みかけているのだと。私たちはやり遂げたのだと。誇らしい気持ちを胸に一歩踏み出した、そのとき、あ。

 睡眠不足がたたっていたのか、それともさっき転んだとき、気づかない間に足をひねるかなにかしていたのかもしれない。ふっ、と膝の力が抜け、私は顔から地面へと倒れこんでしまったのである。あ、困ったなぁ、というのが最初の感想で、痛みはそれほど感じなかった。自分の身体よりも、ポケットから飛び出したiPhoneを心配したくらいだ。apple社解体の数か月前に発売された最後の機種、 iPhone Xrossは、壊れてしまえばもうサポートが受けられない。ヒビが入ったりはしていないだろうか。拾うために立ち上がろうとして、おかしいな、こんなに元気なのにな、と感じながらも、どうしても膝に力が入らない。そうこうしてる間に、ビービビ、ビー! ビービビ、ビー! あんしんバンドがいつもの3倍増しの音量で鳴り出す。ぴかぴか、まぶしい点滅もはじまって、私はすっかり驚いてしまう。少し休めば大丈夫、すぐに歩けるようになるというのに、どうして今の世の中は、こう、どんなことでも大げさにしてしまうのだろう。弾丸のようにどこかから撃ちだされ飛んできた銀色のドローンが、空中でプロペラを展開し、ホバリングしながらメッセージを流しはじめた。

『緊急用件のおそれがあります。120秒後にレスキューを派遣します。問題がない場合は、[キャンセル]ボタンをタッチしてください』

 私は私の美しい身体を精一杯伸ばして、地上1メートルほどのところに浮かぶドローンに触れようとする。けれど、届かない。残りは90秒。レスキューなんて呼ばれたら、困ったことになる。手当はしてもらえても、仕事がなくなってしまう。私は諦めが良い方だと言ったけれど、エネルギー負荷を高めるだけのお荷物になるなんて、絶対に嫌だった。ああ、60秒。もみもみ、どうにか動いてくれないかと足をもみほぐしてみる。でもやっぱりだめだ。歳は取りたくないものだ、と私はこれまで嫌だと思い続けていたことを、とうとう思い浮かべてしまう。

 たかたか、と軽快な足音を立てる合成スニーカーが、倒れて低くなっている私の視界に飛び込んできた。ドローンの警告音と、プロペラの音と、私の「あんしんバンド」のアラームと、たかたか、スニーカーの奏でる四重奏。レスキューが来るまでの残り時間が減るのに合わせ、合成スニーカーもどんどん近づいてきて、3、2、1……伸びてきた長い腕がドローンのキャンセルボタンをタッチした。

 私は……、私の……、

 私はそのとき……、

 こんなことは、私の読んだ本には、書いてはいなかった。


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