ゆとりとして

90年代バブルの崩壊と共に僕らは生まれた。リセット世代、個性的な子どもたちを育てる教育改革、生徒の自主性を重んじるカリキュラム、そんなことばと一緒に在りながら、ゆとり世代という時系列で語られる我々がいま、大きな社会の変化にあってどんな意味を持っているのか。

少し思い出話を。これは中学校のときの話だ。僕らは体育の時間にもかかわらず教室のなかで、先生の話を聞いていた。その先生は黒板に「共育」と書き、そのことばの意味を授業一回分を使って生徒の僕らに教えてくれていた。これからは教育ではなく、生徒と教師が共に育っていくための教育をしていくのだ、そんなことを云っていた。当時、何か心に残った気がしたのか、聞き流すように聞いていたのかは覚えていないのだが、その先生のことは別の場面で覚えている。

その体育の先生と僕は、外で立ち話をしていた。授業中である。僕は先生と何かしら未来の話をしていた気がする。しかし、覚えているのはその先生の目が、僕ではない誰かと話しているような気がしたのだ。その先生とは、親しい間柄でもなければ、僕は特別気に入られた生徒でもなかった。先生と生徒という垣根を越えたその一瞬の対話に、違和感を覚えている。

変化にあって、自主的に変化しようと努めることは難しい。しかし、難しいことではあるが、不可能なことではないと僕は思っている。変革のなかで何かにロイヤリティを持って尽力することや、そんな人の中で役割を意識しながら没頭していくなかで、自分という存在の実体の無さに気づくことができた。その過程は、今になって共有することの大切さを教えてくれていた。

いま思うと、経済という大きな動きのなかに自分が取り込まれるなかで、必死で役割を感じようとしていたのかもしれない。それは感情的なものだったり、自分の実体の無さに対する不安、ハッキリとした制度の中で工夫が出来る人たちに対する嫉妬や焦りから来る衝動的行為でもあった。学びをまねびと伝えてきた先輩の通りに、動きのなかで人の真似をすることが上手く出来なかった。変化のなかで、変わらないものを保ち、荒波に立ち尽くす自分なんて想像出来なかったから。

何か上手く行っていないことに気づいているのに変わらない生活が続いた。経済的余裕イコール精神的余裕という勘違いが、とりとめの無い話題に感情を興させ、変わらない何かを変わらない不安のことだと勘違いさせた。今になってわかる。救われることへのためらいが、周りの手を自分の不安から遠ざけた。逆に不安を持つ人の声をたくさん聞いた。

この間、僕には経済はまるで筋肉をつけたように思えた。僕という心臓をドキドキさせながら未来への不安を隠すようにして鼓動させている間、周りの声は心配して筋肉質になっていたような(比喩として)気がした。それは心臓に筋肉をつけるように促されているようで、更に心臓の鼓動を早めた。僕はやがて不整脈のような(比喩として)、欠陥を起こすようになった。心臓が一番大事なんだと励まされる度に、筋肉みたいに自分を鍛えてばかりいる人たちに嫉妬したりした。一定のリズムを刻んで生きていくことしかできない自分は、周囲との違和感を感じずにはいられなかった。というより、感じずにはいられない。この気持ちは今も続いているからだ。

この国の教育が求めていたものは何だったのか。新しい教育は、改革の成果を見ることができたのか。ゆとり世代と揶揄される我々が、日本の教育の試金石として活かされる、もしくはそんな議論がいつか何処かで行われるのなら、それだけでもちょっと嬉しい。情緒の育つのを待たずして、ひたすら成果をあげることにこだわってきた戦後教育の時系列上、異質であるだろう、ふわふわした僕の感情。日本人的な学びとして、実験的価値を持って次代の教育制度のなかに真似されるなら、本望かもしれない。

しかし、僕らの目を見ることで、何かを感じずに生きようとすることはやめてほしいと思っている。大人になるにつれて、これだけはやめておこう、という思考になって行くけれど、僕ならまず子供の顔色を伺う大人にだけはなりたくないと思っている。自分の感情で感じ、ときどき余白をつくったり、周りと違えど意思を持って何かを続けることだけは止めたくないと本気で毎日考える。

もし、そうであるならば、だが、日本人としての情緒の育つことを全体における役割として一世代が担う場合、それが何を意味するのか。いつでも真似をされる方の鼓動は激しく、その音を聞くことは極めて繊細だ。何かを変わらずにあると思うなら、それ、への畏敬の念は絶対に必要だ。

先ほどの先生と生徒の共に学び合う理想が、いつまでも記憶に留めておけるほどの深い意味を両者の間に持つのかは、あまり期待しないことにしている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?