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vol.186/ ゆっくり時間をかけて

私たち、ゆっくり時間をかけて
料理したことなくない?



夫との会話で私たちはゆっくり時間をかけて料理を作ったことがなかったことに気がつく。それこそコロナ禍真っ只中には土鍋でごはんを炊いたりしてみたことはあったけど、時間をかけて料理したとはなんだか言えないレベルで、何なら料理=時短で手軽に美味しく!をモットーにしていたくらいだからゆっくり時間をかけて料理を作るという言葉すら頭になかったのが事実。


そうそう。料理といえば私は結婚した時に1番ネックだったもののひとつで、洗濯や洗い物、掃除よりも何よりも料理がなんてったって苦手だった。“だった”と過去形にするべきか悩んだけど、ここは過去形で。今では料理が得意とは絶対言えないけれど、料理が好き!と言えるまでになった。それは天と地レベルの大変化で、その変化に1番驚いているのはこの私だ。どうやって好きと言えるまでになったのか?それは“やり続けて見えた世界があったから”としか私は言えなくて、でもそれでしかなかったことも真実で。最初はお米の炊き方もわからなかったし(一合をどう測るかも知らなかったから本当に大変だった)、野菜の切り方も、出汁の取り方も何にも知らない赤ちゃんみたいな状態からのスタート。料理に限らず、他の家事全般大してお手伝いしたこともなかった私は結婚してから何もできないこのに気がついてそれと同時に生きていくことの1番の根っこである日常を営むことが完全に欠けていたことにも気がつくことになる。ああ、日常が何の不自由もなく営めていたのは、この1番の根っこ部分が母の働きによって整っていたからなんだ。心底痛感した。



それから数年、日常を営むことの1番の根っこ部分である料理や家事全般を愛せるようになった。毎回毎日を丁寧に生きたい気持ちはあるけれど、そんなこと息が詰まってしまうし実際そんな余裕もないのが現実。それでも今日の夕飯を考える時間や、天気予報をチェックして洗濯をする時間を面倒で苦手な作業から愛おしい時間へと変化した。それは正しく、“やり続けて見えた世界があったから”なのだ。多くは“慣れ”と片付けられてしまうものかもしれないが、私はあえて慣れだけだとは思わない。愛せる努力をしたと自画自賛しているし、誇っていいと思っている。(それくらい底辺からのスタートだったということだ)そこでこの会話だ。



私たち、ゆっくり時間をかけて
料理したことなくない?



次のフェーズが見えてきた。
日常を営む為の1番の根っこは、日常をより豊かにするものへと変化する時なのかもしれない。ゆっくり時間をかけてやり続けたことは、こんな世界線まで連れてってくれ、そして見せてくれるのね。2人で何を作るか考え、せーの!で答えたら“ローストビーフ!”だった。そこまでシンクロするのか。まずはゆっくり時間をかけてローストビーフを作ることが今の私たちが始めたいこと!




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