見出し画像

vol.181/ Short trip → Fukuoka 06

福岡最終日歩きます。
まだまだ歩きます。
なんでこんなに歩くのだろう。
もはや修行なのかな、と感じるほど。


次に目指すは天開稲荷社

天開稲荷社
五穀豊穣、商売繁盛
開運をもたらす神様
鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から勧請され、「九州最古のお稲荷さん」として親しまれてきました。御祭神に宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)をお祀りし、天に道が開け、運気が上昇する神社として信仰されています。
毎年旧暦の初午の日には、春の大祭として「初午祭」を執り行います。五穀豊穣、商売繁盛、開運を祈る方々で賑わいます。

太宰府天満宮HPより

赤い鳥居が映える
九州最古のお稲荷さん
御祭神として、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)をお祀りしています。名前の通り、天に道が開け運気がぐんぐん上昇するといわれ、広く信仰を集めています。

太宰府天満宮HPより
真っ赤な鳥居が本当に美しい


太宰府天満宮を奥へ進むと九州最古のお稲荷さん、天開稲荷社に辿り着く。夫婦お互いの商売繁盛、そして自分と周りの方々の開運を祈ってお参り。皆が良い方向へぐんぐん進むように、前にもそして上にも多方面へ拡大していけるように。裏手の階段を進むと堀のような場所がある。そこは石で覆われた奥の院。私たちはそちらでも拝ませてもらった。



そして次に発見した“竈門神社まで2km”という看板。
これは行くしかない!!歩いて2kmなら簡単にいけるではないか!!!と歩みを進めることに。


思ったよりも険しい道のり。もはやこれは修行。


それが間違いだったのか、これが体験したいことだったのかは一度伏せるけれど、この道中かなり険しく(私たちにとっては)2人で何度か心が折れかけた。笑
がここまできたら歩くしかない!
しかし平坦な2kmと思った私たちは大誤算、登ったり降ったりの2kmはちっとも進んだ感じがせず、本当に辿り着けるのか若干不安にも襲われる始末。

歩いて登って降って、間違えて住宅地へ入ったり出たりまた入ったりしながら進んでいると、ヘトヘトな私たちをバスが優雅に追い越していく。

それもそのはず、

太宰府駅から竈門神社へはコミュニティバス「まほろば号」が運行しております。所要時間は約10分、料金は100円です。 
太宰府天満宮からは、徒歩で30分、もしくは最寄りバス停「宮前」(三条セブンイレブン前)が便利です。

竈門神社HPより


とあるではないか。
そりゃそうですよね。
でも歩いて行くからこその景色に出会えたり、宝満山(ほうまんざん)の美しさを目の前で感じられてそれはそれでイッツオッケー!と思える。それくらいに美しい景色に出会えた。


そして、ついに!宝満宮 竈門神社(ほうまんぐう かまどじんじゃ)!ファイナリーーー!!!!!


おお、これが竈門神社!桜が見事なことでも有名。
なんと美しき社殿…!
太宰府を見渡せる気の良い場所。


境内を進むとモダンな建物に驚くがなじみ様にも驚いた。社務所やお守り授与所がイケている。調べてみたら授与所に関してはインテリアデザイナーが設計されて建てられていた。

インテリアデザイナーのWonderwall片山正通さんにより、「百年後も愛され続ける建物」をコンセプトに設計され、様々な人々が行き交い多くのご縁を結び繋いでいく場となっていくことを願っています。

竈門神社HPより

素敵なコンセプトであるのはもちろん、厳かで厳格な神社の雰囲気だけではなくモダンなテイストを加え織り交ぜながら未来へ繋いでいく、そんな部分も垣間見られた太宰府天満宮の仮殿に続き竈門神社の授与所に心打たれた。そして私もまさにデザインに携わる人間として感銘を受けた。

そのまま、当時のまま、同じように、変わらず

その気持ちで残していくものや保存していくもの、そしてそれらを残す“技術”は重宝するべきものであるしどうかなくならないで欲しい。

その思いと同じくらいに

変化、進化、変革、革命、モダン、そして調和

その気持ちで取り組まれて歴史と調和させて繋いでいく。この意識、どちらも大切だと私は思っている。中でも“調和”というワードは数年頭から離れず、そして意識的に常にあるものとなった。

どちらかというと私は0か100かの人間である。
そんな私には“調和”というワードなんぞ頭になかった。
調和?釣り合い?要らなくない?白黒ハッキリさせたいの!
という若かりし頃の私にはとてもじゃないけれど響かない。そんな私であったが調和を意識し出したきっかけがある。30歳を迎える年に起きたパンデミックだ。それはこのnoteをスタートさせて頃。

なんと001で調和について書いていた私。

過去へのこだわりや執着があればあるほど、思えば思うほど、過去が自分を苦しめて自分で自分を雁字搦めにしちゃって身動き取れなくなるし、視野がぐぐっと狭くなるし、で最終的には【私は何と戦っているんだ?】なんて考えに至る。要は何も解決しないし過去にこだわってると過去を生きることになっちゃうから。もしかしたら慣れるのに時間がかかるっていうのは、過去へのこだわりや生き方を手放すまでにかかる時間と比例するのかもしれない。今書きながら気づいたけど、私は何でも慣れるまでに時間がかかると思っていたけど、それは過去を手放さなくて済む自分に都合の良い言い訳だったのかもとドキッとした。

【Shake it off. vol.001】 変化と調和するということ より

こだわることを一旦やめてみれば。新しい生活様式に徐々に慣れたように。物質的な変化の波に自分の心を乗せ忘れないで同じ波に仲良く乗せて、軽くすーっと泳いでいけるように。そしたら自分では考えも付かなかったような素敵な場所へ辿り着くかもしれないしね。

【Shake it off. vol.001】 変化と調和するということ より

(自分で書いた記事だが、良いことを言っているではないか。
4年前の自分よ。)

そして4年前の自分と少し違うところは、自分と社会全体の調和を考えるよう意識していること。その当時の“個”よりもっと広く拡大した様なイメージでの調和、海みたいに広い調和だ。自分と相手だけの幸せだけではない全体の幸せを願うのに似ているかもしれない。その調和はその前にある

変化、進化、変革、革命、モダン

を意識しないと私の中では腑に落ちなかったというか、意識しようとも思わなかったかもしれない。一度ぶち壊す作業みたいなものが(物理的なものだけでなく精神的にも)必要でそれが

変化、進化、変革、革命、モダン

だったとも言える。
そう思うとぶち壊す作業とこれらワードを腹落ちさせる段階がこの4年間だったとも言える。相当な時間を要したし4年も勿体無い!と思う気持ちも無くはない。
だがここからの時代をどう生きるか、物事をどう感じ取っていくか、そしてどれを選び取っていくか。
そんな“真髄みたいなもの”に触れていく/探っていく4年間でもあったから、私史上超絶重要期間でもあったとも思えてならない。



そんなことをこの宝満山で思い耽っているということも感慨深い。なんでもこの竈門神社、大宰府の鬼門に当たる場所で、神仏習合時代は修験者の道場でもあったそう。私たちは宝満山登山はしていないけれど、その道中そしてこの神社で感じたことを胸に刻んで(noteにも綴って)忘れないようにしておこう!と思えた時間でした。面白いことに気持ちの整理整頓ができた感覚もあってスッキリさっぱりした自分爆誕、神社を後にする頃には夫婦揃って気持ち晴れ晴れるんるんでコミュニティーバスで太宰府に戻る。(気持ちは軽やかになったが、足は重い。相当重い。)



博多に戻ったらもう良い時間で福岡最後のご飯はやはり豚骨ラーメン。めちゃめちゃ歩いてしんどい身体にラーメンが染み渡る最終日。

五感がとんでもなく忙しい。


荷物もホテルで受け取りいざ空港へ。色んな思い出を作ることができた4日間の旅ももう終わってしまう。やはり旅の最終日はセンチメンタルになるけれど、だからこそまた旅に出たくなるんですよね。ドラマチックなことがこの後待ち受けているなんて想像すらしていなかったけれど…!

それではまた来週お会いしましょう^^

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?