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#142 パーカーのフードを被ったままの児童が、それを脱ぐまでの経緯

休日は大抵、パーカーにスキニーのスタイル。ラッパーではないので、フードは被らない。というかラッパーでも最近はフードをあまり被らない。ショッピングモールで私がフードを被り闊歩していたら、家族はきっと3メートル位距離をとるだろうし、娘に関しては、もう一緒に出かけてくれないと思う。それ以前に教育公務員の立場上、その出立ちは信用失墜行為につながる、かもしれない。

先日補欠に入った時に、真っ白なパーカーのフードを深めに被り、着席している児童がいた。社会通念上、公的な場では脱帽が求められる。それを知っているから、大概の児童は脱帽する。それに倣い、私が「フードとって。」と言うのは簡単だが、しなかった。その子が自発的にどのタイミングでフードをとるのか興味があったからだ(迷惑行為に関してはきちんと指導します)。

朝の会中は、周囲と自分を隔絶するようにフードを被っていた。一時間目(社会)が始まってからも同様に。私は、こけしを題材にした伝統文化の継承について授業を行なっていた。「こけし、買いますか?買いませんか?」「買いません。」「なぜ?」「興味がないし、可愛くないからです。」「このままでは途絶えるね。」「はい。」「職人たちはこの状況に対し、指をくわえて見ているだけだろうか?」「そんなことはないと思います。」などと、やりとりをしていく。

授業は盛り上がり、加速していく。動きがあったのは、タブレットで検索を始めた時だった。フードのあの子も、エンジンがかかったのが分かった。画面には、アーティストとコラボしたポップなこけしが多数。色合いに心が躍り始めたのだろう。アクセルを踏ませる瞬間は今だ。そして、こう質問をした。「みんなが買いたくなるようなは、どんなこけし?近くの友達と意見交流して。」待ってましたと言わんばかりに、「呪術廻戦キャラのこけしなら絶対買う!」「こけしは買わないけど、鉛筆キャップがこけしだったらおもしろ。」「木の温もり感は外せないよね。」などと意見を交流させていく。その刹那、あの子はフードに手をかけ、それをとった。そしてそれ以降、もうフードを被ることはなかった。

もしかしたら、その子にとってフードを被るという行為は、「自分を守る」という防御的意味合いがあり、下界と自分との境界線がそれだったのかもしれない。家で何か嫌なことがあったり、髪型が気に食わなかったりしたのかもしれない。詳細は分からないが、授業が面白ければ、人はフードをとるというサンプルを得た。やはり、授業が教育活動で果たす役割は大きい。

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