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#141 google chat×協働的な学びの可能性

私は新幹線に飛び乗り、一路南下した。某附属小学校の公開研究会に参加するためだ。その学校は文科省の研究指定校で、「情報」を教科として設置し、児童が主体となる学びを研究していた。巷で「情報教育のパイオニア」と呼ばれる私は、前泊してサウナで身を清め、当日朝も一時間以上のサ活を行い、臨戦体制で公開研究会に臨んだ。ととのいすぎて危うく一日が終了するところだった。

参観した授業は3本(低学年1本、高学年2本)。高学年の授業ではgoogle chatをフル活用し、生成AI、情報×デザインをテーマに、協働的な学びが繰り広げられていた。協働的な学びというと、瞬間的に音声ベースの対話が思い浮かぶが、45分の中で教師が授業を止め、発言を促すという場面はほとんど見られなかった。そう、対話は完全に文字ベースで行なわれていたのである。

文字ベースの授業では、教師のファシリテートを介在しないので、全ての瞬間に発言(書き込む)可能なタイミングが存在する。発言が苦手な児童の参加ハードルがぐっと下がるのだ。また、自分の作品をチャットに投稿し(ポスター制作をしていた)、「アドバイスをお願いします。」と書き込むことで、リアルタイムに他者からの反応を得ることができ、作品のブラッシュアップが可能になる。そして、修正したものを再度投稿し、また反応をもらう。その繰り返し。ここで児童に必要となるのは、リアクション力である。協働的な学びに必要なのは、共感的姿勢で、画面通知を無視して制作にだけ没頭することは許されない。

一方教師は、本時のねらいの共有を図ったあとは、チューターに徹していた。そこに一方的な指導や指示は存在していなかった。投稿を見ながら児童の進捗状況を把握し、方向性がずれていれば修正の声がけをする。PDCAサイクルが回る授業の中で、「待ちの姿勢」を貫いていたように思う。ついつい口を出したくなる場面でも、だ。終末ではスプレットシートに振り返りを記入させ、活動を回収し、次時の課題設定につなげていた。さすがである。

完全に着火された。そして私は、職員会議にGoogle chatを導入しようと決めた。資料も全てチャットに貼り付け、質問があればそこに書き込む。案件に間違いがあった場合も同様。全てはクラウド上に保存されるので、もしかしたら会議録も不要になるかもしれない。教頭はチャットを見ながら司会をし、協働的な会議になるように手綱を引いていく。このように脳内計画を練っていた舞台は、参加後に訪れたサウナの中であることは、言うまでもない。

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