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#127 そうか、素足か!〜御宿野乃宿泊から朝の会を考える〜

私はドーミーインに心を奪われている。出張は勿論ドーミー一択、家族旅行でさえもドーミー一択。「ドーミーは間違いない!」と繰り返し家族を洗脳し、最近では、「どこのドーミーに泊まる?」と、ドーミーありきで旅行先を決める始末。そんなドミニスタの我々は、今回は趣向を変えて、共立メンテナンス(ドーミーの大元)が展開する和風旅館「御宿 野乃」に宿泊することにした。

野乃は繁華街の中にあった(しかもドーミーが向かいに!)。繁華街なのに、旅館である。全館畳敷きであるから、入館と同時に靴を脱ぎ、館内を素足で移動する。これがとても心地よい。部屋も勿論畳敷きである。少々潔癖な気がある私は、ビジネスホテルの「靴とスリッパの境界線問題」に悩むのだが、野乃の場合はそれを感じなくてもよい。極端な話、どこに寝っ転がってもいいのだ。じゃあ旅館に泊まれと言われそうだが、繁華街にあり、ビジネスホテル並みの料金で、コンパクトに宿泊できるところがミソなのだ。考えつきそうで、考えつかない発想。繁華街=ビジネスホテルという固定観念を、繁華街=素足で移動できる旅館に変えるだけで、新たな価値観が、そこに生まれる。

学校には、そこかしこに固定観念が存在している。土足を素足に変えるような発想転換で、新たな価値を生み出すことができないか。本校では3学期から、「朝読書と朝の会の区切りをなくして、30分の学級裁量時間を設定する」という取り組みを行う。朝の会とググると、朝の会=先生の話とか、朝の会=歌とか、朝の会=日直のスピーチとか、大体同じようなことがヒット。これがまさに固定観念である。私だったらこんな感じ。始業とともに朝読書→させながら健康観察→タブレットで一日の予定を確認→その流れでデジタルドリルを一本消化→休憩しながら1時間目の準備という形。朝の歌は歌わない。カラオケ好きの私でも、朝から熱唱することは厳しい。まして高学年児童、歌うことに抵抗がある。歌わせたい、歌いたくないの非生産的なせめぎ合いがなくなる。日直のスピーチもしない。スピーチは朝するものではなく、きちんと国語の時間で行う。

固定観念を発掘して、転換していく作業は実に面白い。旅は、そのインスピレーションをくれる。歳を重ねると頭が固くなるから、旅はしないとダメだな。そうそう、ドーミー系列は風呂とサウナもいいのだ。ビジネスホテル=シャワーという固定観念をひっくり返し、ビジネスホテル=露天風呂という新しい価値観を生み出している。ああ、早くドーミーに泊まりたい、というか住みたい。

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