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【SIREN考察】堕辰子が落ちてきた時に村が飢饉に見舞われていたのははたして偶然か

※ネタバレを多く含みますのでご注意ください。

※この考察は、考察というよりは仮説に仮説を重ねた、もはや妄想です。そのつもりでお読みください。

SIRENとは?

プレイステーション2で販売されたホラーゲーム。2003年11月6日発売。

他人の視界を覗き見る「視界ジャック」という能力を駆使し、屍人と呼ばれる敵から逃れつつ戦うステルスアクション。

2006年2月には続編の『SIREN2』、2008年7月には第3作『SIREN:New Translation』が発売されたほか、2006年にはメディアミックスとして、映画化もされています。

全ての発端である天武12年の事件

いまから約1300年ほど前の天武12年(西暦683年)、後に羽生蛇村となる山間部の小さな村に、天から異形の生物・堕辰子が降ってきます。

このとき、村は長く日照りが続いて飢饉の状態にありました。村人のほとんどが死んでしまい、生き残っているのはわずか3人だけです。

3人の村人は生き残るために堕辰子を喰らいますが、その内2人は堕辰子の断末魔の叫びを聞いてその場で死亡、残った1人は不死の呪いを受けてしまいます。その残った1人こそ後の八尾比沙子であり、ここから羽生蛇村1300年の呪いが始まります。

※厳密に言えば羽生蛇村の呪いは『虚母ろ主の輪』状態なので、そこには始まりも終わりもありません。

さて、長年様々な考察を重ねて来て、わたくしここでふと思ったのですが、この天武12年に天から堕辰子が落ちてきたとき、村が日照り続きで飢饉状態にあったことは、はたして偶然だったのでしょうか?

羽生蛇村を支配する『因果律』

羽生蛇村の呪いの本質である『因果律』から考えると、堕辰子が落ちてきたとき偶然村が飢饉だったとは考えにくくなります。

羽生蛇村における因果律については上記記事をお読みいただきたいのですが、簡単に説明すると、羽生蛇村ではあらかじめ定められた結果になるまで何度でも時間が戻ってやり直しさせられるというものです。よりわかりやすく言うと、村では終了条件未達や終了条件1の達成では先へ進むことができず、終了条件2の達成でようやく先へ進むことができるのです。

そして、全ての人物が終了条件2を達成した先にあるのは、2003年8月5日に須田恭也が堕辰子の首を落とすという結果です。

つまり、羽生蛇村の因果律とは、恭也が堕辰子の首を落とすために定められたものであり、これこそが羽生蛇村の呪いの本質であると言えるのです。

この羽生蛇村の『因果律』に基づいて考えた場合、全ての発端である天武12年、天から堕辰子が落ちてきたときにたまたま村が日照り続きで飢饉だったのではなく、堕辰子が落ちてきたときに村が日照り続きで飢饉となるまで何度もやり直しさせられた、と考えるのが妥当になってきます。

もし、堕辰子が落ちてきたときに雨が降っていたり夜だったりすれば堕辰子は陽に焼かれて弱ることはありませんし、飢饉でなければ村人は堕辰子を食べようとはしなかったでしょう。当然、これでは1300年後に堕辰子の首を落とすことはできませんから、時間が戻ってやり直しとなり、村人が堕辰子を食べるまで何度でもやり直しさせられるのです。その前提として、長く日照りが続き飢饉状態になった、と考えることできるわけです。

偶然でも必然でも別にどっちでもいいだろ、と思われるかもしれません。しかし、今回あえてこの説を提唱したのには重要な目的があります。実はこの話、どうあがいても絶望だった羽生蛇村を救うことへ繋がるかもしれないのです。

怪異が存在しない世界

以前、『SIREN2』で阿部倉司が最後に飛ばされた世界は怪異が存在しないため、比沙子が堕辰子を食べることができず村は全滅、その後の子供や孫・子孫が生まれないため、現在の羽生蛇村は存在しない、という説を披露しました。

詳しくは上記記事をお読みいただけると幸いです。

しかし、この『阿部が飛ばされた世界では羽生蛇村の人々が存在しない』説、今回の『堕辰子が落ちてきたときに村が飢饉だったのは何度もやり直しさせられた結果』説に基づくと、大きく覆ることになるのです。

怪異が存在しないなら堕辰子も存在せず、その首を落とす必要がないので、羽生蛇村の因果律も存在しません。よって、天武12年に村を飢饉にする必要もないのです。

ならば、村人も死ぬこともなく、比沙子も無事普通に子を生んで、呪われることのない羽生蛇村が存在する可能性があるのです。

『因果の成立』という説を見つけて以降、まさに「どうあがいても絶望」だった羽生蛇村も、今回の説に基づけば、今度こそ救われるかもしれません。

呪いが無い羽生蛇村はどんな村?

では、めでたく呪いが無くなった羽生蛇村は、どんな村になっているのでしょうか?

堕辰子がいなければ眞魚教も無くなりますから、呪いがある世界の羽生蛇村とはがらりとその雰囲気が変わっているでしょう。そもそも羽生蛇村という名も堕辰子の姿が元になっていますから、村の名前も変わっているはずです。閉鎖的にする必要もないので開かれた村となり、村どころか大きな都市になっている可能性もありますね。

ただ、堕辰子が落ちて来なければ比沙子の直系の子孫である神代家が力を持つこともなかったでしょうから、村の構造そのものも大きく変わってしまいます。当然眞魚教の求導師や村の暗部である宮田医院も存在しなくなるでしょう。吉村兄弟が養子になることがなければ双子に葛藤することもなくなり、美奈理沙との出会いも無くなります。恭也が村に来ることもなければ竹内が大学講師になることもないでしょう。他にも多くの影響が出ると思われます(というより、影響が出ないキャラはいないでしょうね)。

大半のキャラが全くの別人になっているという点では、天武12年に村人が全滅した世界とあまり変わりはないかもしれません^^;


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