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エッセイ( Essayer )𓉡

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『赤ちゃん』は『大人のための教科書』である!|好奇心や感動の源泉について探究!

【赤ん坊】多くの赤ん坊は先入観や予断が無く、習慣的に新鮮なものの見方をする。 創造性・好奇心・探究心が比較的に強い。 【大人】多くの大人は既存の常識や先入観に囚われている。 創造性・好奇心・探究心が比較的に弱い。 【この差は何が創り出しているのか!?】『赤ん坊の視点』と『大人の視点』には大きな差がある。 『赤ん坊』は『枠の外』で自由に動き回るが、 『大人』は『枠の中』に依存してしまっている。 依存というものは『習慣』が創り出すから、この差を創り出しているのは習慣

〔メタ認知〕することで湧く活力𓅔

[メタ認知]とはどのような感覚なのか? 宇宙から「自分自身(名前)」を観察して干渉していくという感覚。 世界を外側から見るという感覚。 幽体離脱した自分が自分を観察して干渉していくという感覚。 マインドフルネスのように全てをバランスよく薄らと見ているような感覚。 [メタ認知]することで湧く活力 𓀡 人は、大自然を前にすると自分のちっぽけさを感じ、謙虚な心、利他心、好奇心などが湧き起こる(Awe体験)。 これは、大自然という存在の目を借りて自分を見た結果だとも言

内なる宇宙を広げていく喜び 𓅓

愛という宇宙。 創造という宇宙。 好奇心という宇宙。 全て[ 無限の広がりを魅せる ]という性質を持っている。 私たちは、それに[ 干渉 ]することもできる。 宇宙の産婆役として[ 広げていく手伝い ]をすることもできる。 宇宙は[無為自然の中では自然と広がっていく]のだが、 [ある種の夾雑物]の影響によって抑制されてしまうこともある。 私たちの祖先は、そのような[ ケ枯れ(日常)]を、 [ 晴れ(非日常)]で儀式的に取り除くという感覚を大切にしていた。

別世界を優雅に泳ぐ心 𓅓

「ゾーン」から抜けた後にやってくる浮遊感と恍惚感。 「別の世界」を優雅に泳いでいた心。 「クロノスの世界」を離れて「カイロスの世界」を旅した心。 それを宇宙の外側の自然から垣間見る。 カイロスの余韻は、まだまだ続く。 やっぱりいつも以上に洗練されている。 窓から見える山は、ラベンダー畑のような空の光を浴びていた。 いつも以上の神性を発露させて、こちらを見ている。 安心感と畏敬の念に包まれながら、ただそれに見惚れていた。 自然。無為自然。浩然の気。宇宙。 【

想像することの大切さ 𓁉

何かを実現する際、それを想像する力が強いほど、その確率は上がる。 頭の中で思い描くやり方。 言語(文字や音声)を使って思い描くやり方。 芸術的にその抽象的な概念を物として具現化するやり方。 ディティールへのこだわり具合が高いほど、それは頭の中で精神的に具現化されていく。そうすると、より想像しやすくなる。 感情に訴えかけるものというのは強い想像物として残り続ける。 それは精神的に具現化されているから、その距離感が近い。 だから見失うことなく追いかけることができる。

己の無意識という自然を耕そう 𓃱

無意識と共生し、強い流れを生み出し、利用する 私たちは無意識という自然を飼っている。 そしてその無意識は、外部からの何らかの入力によって規定されていくことが多いとも言える。 無意識は、外部からの何らかの刺激(入力)、パラメータ(変数)の影響を受けて出来上がっていると言える。 例えば、外に出かけたり、インターネットを見たりすることで無意識がある程度規定され、それが意識まで登ってくるといった具合だと思う。そこから様々な認知しうる『考え』などが生まれる。 哲学者や科学者が

失われた自然観 𓃰 𓀗 𓃰 𓀡

noteでは「人間という存在や自然との繋がり」といった類のものを表現することがある。 ・・・・・・ [ 無意識という自然・ 自然物の尊さ・心が現実を作る・夏と自然と幼年期・赤ん坊(自然)は大人のための教科書・生物は芸術だ、己を愛でろ] ・・・・・・ 言語化することが正しいのかどうかは、まだ分からない。 自然言語とは広い意味での自然と繋がることなのではないか、とも思う。 とりあえず、種を、インターネットという自然に撒いている。 そこから『気づき』を得る人もいる。 そ

心が世界を創りだす - [その仕組みに迫る!]

確かに、理性でものの見方を変えられるかも知れない。 しかし、共生して皆が幸福になるには中庸(バランス)が大事だと思う。 これは啓蒙主義の考え方に近いかも知れない。 歴史を見ても、啓蒙主義(=合理主義的な(17〜18世紀))の後に感覚優勢の時代(=ロマン主義(18世紀))が来ている。これは理性が優勢になりすぎた反動として感覚(感情や直感、個人の経験を重視)が来ているように見える。 余談:私たち人類は、左脳の役割を人工知能に掲げることで、その冷徹で計算的な考え方から、よう

自 然 物 の 尊 さ 𓀀 𓃰 𓃱

芝生の心地よい踏み心地。 大地、緑、生命の香り。 頭上には、幻想的な宇宙(そら)が広がっている。 力強く繁茂する細枝は、それを覆い隠そうと躍動している。 だがそのおかげで、私はあの神々しい表情を見ることができた。 真紅の、滑らかで情緒溢れる宇宙(そら)を背景に、私たちの兄弟である細枝が、前へ前へ密かに前進している様子を。 それは世界に一つの動く芸術作品だった。 超新星爆発がなければ私たちのいる宇宙もなかった。 だからその宇宙自体も、私たちの兄弟と言ってもいいは

『戦場のメリークリスマス』から得た倫理観 𓃱

皆、あるシステムの影響を受けている。 国というシステム、社会というシステム、法というシステム、戦争というシステム。これらは全て『私たちと同じ人間』が作り出したシステムだ。 これらは人工的であり、必ず誰かの影の影響を受けている。 国を作ったものの影、社会を作ったものの影、その不動の影が根底にあり、それが私たちに対して常に身体的、精神的に影響を及ぼしている。 人間にはそれが埋め込まれる。 十人十色の型が在る。 人間の持つ光と、外から来る影のバランスを考えなければならな

『牛乳は人を精神的に成長させる』という事実をどう捉えるか? - 【Albert Einstein : 穏やかでつつましい生活...】

社会というコップに注がれた牛乳、自分の内側のコップに注がれた牛乳。 [ 🥛 & 🥛 ] どちらの世界も、とても奥が深い(内側の牛乳のほうが実は遥かに深い)。 だから、私も含む多くの人は、一生懸命にもがいて、外に出ようとする。 『その過程自体』が楽しいと言う人もいるし、 『自分の目の前にある牛乳』の風味やコクを吟味して楽しむ人もいる。 『目の前の牛乳』に働きかけ、凝固させ、バターを作り、楽しむ人もいる。     それを毒だと思い込んで命を無くす者もいる。 結局は、 『

【映画】ノマランドの感想〜今日という日は、残りの人生の最初の日である𓀤

今日は人生の最初の日だが、今日死ぬ可能性もある𓀤 ある女性は、定年退職の一週間前に病気で亡くなってしまった同僚の男性から、『時間を無駄にするな』とアドバイスを受け、ノマドになった。彼は退職前にヨットを購入したが、人生を楽しむ間もなく逝ってしまったのだ。 彼の「時間を無駄にするな」というアドバイスには次のような意味が込められていると思う。『人間いつ死ぬか分からない。だから今を大事に生きろ』    そして、死を身近に感じた彼女は「今日死んでもいいと思えるような行動をしよう」と

消費と生産 𓀡

幼少期は、ほとんどの人が生産する側だったはずだ。 しかしその内発性は、悲しいことに徐々に失われていってしまう。 それはこの指標でも証明されている。 日本の20代の好奇心の度合いは、北欧の老人並みだ。 学校の仕組みの問題だろか? 使わなければ劣化する、それが生命の基本原則。 内発性も、使わなければ劣化する。 消費も生産も中庸が大事 ✔︎ この世の中、とりわけ資本制の色濃い社会では、毎日のようにラットレースが繰り広げられていて、生産者は生産物を消費させる方法をあらゆ

哲学的な思考を深化させよう

当たり前を問う。 そして新しい「何か(価値観など)」を生み出す。 この「考え方のプロセス」自体を「哲学」と言うこともできる。ある点と、他の異なる点が繋がることを発見するというのも「哲学」だ。 哲学者の東氏は、ジャックデリラの脱構築がいい例だとも言っていた。 脱構築というのは、ある議題Aについて話していたのに、派生して別の話題になってたという現象があったとして、その別の話題の方が、本当は重要なんじゃないかっていう考え方らしい。 ディスカッションをすると、自分の視点から