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不可解なライブ、帰りはアイスを買って食べた

思えば、最初から不可解だった。

満員の丸ノ内線で頭を抱えていた。「なぜライブビューイングに向かっているのか」念仏を唱えるかのように頭の中で何度も何度も繰り返した。ふと前を向くと、汗をかいたサラリーマンがクーラーの効いた車内でバグったように寛いでいる。不快だ。

ぼくが目指していたTOHOシネマズ日比谷は、バカでかいコンクリートダンジョンの中にあった。なんの装備もしないまま、バカでかいコンクリートダンジョンへと足を踏み入れる。所持品といえばラスボスの部屋の鍵ぐらいだろうか。そのラスボスは、人の心を抉るらしい。人生を、世界を、価値観を変えてしまう。なんてやつだ。

こいつが花譜。いかにもラスボスだ。

この少女は、ラスボスらしく絶望を振り撒くのか。いや...どうやら人をどん底に落とす気はないらしい。じゃあ希望を?それも違う、希望は与えない。未曾有の可能性を、別次元から語りかけてくる。その声は擦り切れそうで、震えている。

不可解な花

「かぜ、ゆき、よる.....なつのにおい、かみさま.....」

「ともだち、たからもの.....」

オープニングから、不可解だった。

とても理解できそうにない。耽美的とは違う、宇宙がそこにあった。そして断片的なワードが空間を支配する。情報量は多いが、処理しようとは思わなかった。ライターとしてこの場所に立てなかった自分への不甲斐なさは一瞬にしてブラックホールに飲み込まれた。少女は走った。不可解なパズルを容赦無く鏤める。

「忘れたいこと、何十年経っても忘れないように」

「不可解な花になる」

「バーチャルとリアルの繋ぎ目から...」

「今ここにいるよ」

"いるよ"

「みなさんこんにちわ、花譜です」

少女降臨。情報が収束した瞬間だった。突如観測地点へと現れた少女は、笑っていた。これが見たかった。「僕が見たい最強のライブ!」を1滴残らずかき集め、具現化した光景が目の前にあった。生バンド...やってくれる。オープニングからダンジョンクリアは絶望的だった。

忘れてしまえとは残酷だ

糸を歌った。糸を歌ったことは重要じゃなかった。歌を歌ったことが重要だった。少女の歌に言葉を失い、声を失い、考える力を失った。その場から動くことができなかった。全身を、鎖で縛られた。

「忘れてしまえ」のイントロが流れた時には、1つの動作が拘束から解き放たれていた。

泣くことを許された

「忘れてしまえ」が1番好きだった。超会議では聴けなかった。いつかライブで聴きたいと思っていた。MVは何回も見た。歌詞も何回も読んだ。何回も口ずさんだ。結果、何度も繰り返した行為が1回のライブには及ばなかった。張り合うことすら許されなかった。その1回を聴く為に自分は今この場所にいるんだと確信した。泣かずにはいられなかった。

15歳に心動かされることは恥か

「15歳に心動かされてんじゃねーよ」これは実際に友人に言われたのだが、15歳に心動かされることは恥なのか。今天才と言われる15歳は世界中に存在する。崎山蒼志の才能。ミリー・ボビー・ブラウンは?SASUKEは?表現力に年齢は関係ない。ライブ中、なぜか友人のこの言葉を思い出していた。

「次はですね、なんと、なんと、なんと、初公開の曲になります」

初公開曲の「エリカ」、「未確認少女進行形」を連続で歌ってきた。2曲も新曲を...と感動してたあの時の自分に言いたい、あと5曲あるぞ、新曲。

未確認少女進行形は後期の相対性理論ぽさが印象的だった。花譜のオリジナル曲では新境地ではなかろうか。とは言っても、路線が違えどジャンルは「花譜」のままだった。

五月雨時、美しい人は、死神になった

そもそも花譜は、夜を好む死神っぽさがある。夜になると湧き上がる欲望、思慾を刈り取って、それを源に歌う。

「このあとは、わたしが、すきな、うたを、うたうよ」

『うつくしいひと』は、狂気だと思った。この曲はたかはしほのかが綺麗で優しく歌い、時折奥底から狂気が見え隠れする歌だ。

花譜の場合は違った。優しさを主体としたたかはしほのかに対し、花譜は、"狂気を優しく"歌う。儚い狂気を消してしまわないように恐る恐るなぞりながら。

「冬 雪 ぬれて 溶ける
君と夜と春 走る君の汗が夏へ
急ぎ出す」

若干15歳で自分の音楽を確立した崎山蒼志と、若干15歳で音楽を通じ不可解を提示する花譜。崎山蒼志に対し「人生何回目なのか」という発言をしていたが、「それ、きみもな!」と心のなかでツッコんだ。

「死神」を歌うと聞いた僕は、「花譜が死神を歌うやべー!」ではなく、「死神を知らない人は今から感情ぐっちゃぐちゃにされるんだ」と俯瞰していた。

「履歴書は全部嘘でした」歌い出しで空気が一気に張り詰めた。口の中は乾いているのに、全身は寒さを覚えた。「死神」を知っていたかどうかはもはやどうでもいい。無条件に、無差別に、感情はぐちゃぐちゃになった。

祭壇からの魔女

この日のターニングポイントだろう。新曲「祭壇」と「魔女」の繋がり、ついでに曲の繋ぎに会場はただただ圧倒された。なすすべもなく。

興味深かった。

「同じ時代を生きるみんなに捧げます」

哲学的な話は苦手だ...。歌を歌えば、遠い存在に感じ、喋り出せば幼い15歳の少女が現れる。部屋の電気を切ったりつけたりするように。この言葉を最初に聞いた時は違和感など微塵も感じなかったが、歌い出した瞬間「果たして、花譜という存在は僕らと同じ時代に存在しているのか。」と思ってしまった。

叫び

後半戦が告げられた。

quiz、夜が降り止む前に、夜行バスにて

新曲やRemixが怒涛のように降り注いだ。大沼パセリRemixの夜が降り止む前には、重量感あるトラックに花譜の不安定な叫びが印象的だった。

バンドメンバー紹介からの「過去を喰らう」、恵比寿の皆んなは何を感じただろうか。イントロが流れたと同時に左右に激しく体を振る花譜。その姿を見て遠い昔の記憶が蘇ったよ。

「なぜライブビューイングに向かっているのか」

なぜ僕は恵比寿ではなく、日比谷にいるのか。なぜ僕は現地で激しく体を振る花譜を遠く離れた日比谷の地で見ているのか。なぜ僕は体を動かせないのか...。ぎっしりと埋まった映画館の椅子にもたれながら何度も嘆いた。スクリーンには花譜に合わせて体を振る観測者達。この時ばかりは純粋だ。

純粋に、僕も暴れたかった。花譜と踊りたかった。

終わりは寂しくなかった

アンコールで現れた花譜は、あどけない15歳の少女だった。そして僕らの知らない誰かと会話を始めた。「御伽噺」と大きく書かれた文字と淡々と話す花譜をただひたすら眺めた。何が起きているのかはわからなかった。頭の中で微かに動いていたCPUは、ガラクタになってカタカタと力の無い音を響かせていた。

「御伽噺」を終えると、花譜のオリジナル楽曲を手掛けるカンザキイオリの「命に嫌われている」が披露された。

カンザキイオリは、謂わば武器職人だ。殺傷力に長けた武器を作る。その武器に刺されれば、死んだ事すらも把握できずに死ぬ。花譜は、カンザキイオリの作った武器を時には正確に心臓へ刺し、時にはジワジワと急所を避けて刺していく。

新曲「不可解」「そして花になる」を歌い、花譜初のライブ『不可解』は終了した。心が限界なのか、自然と終わることへの寂しさはなかった。

家に帰るまでの道のりで、花譜を聴くことはなかった。嫌になったわけではないが、明確な理由は出てこない。

SNSを覗くと、これからのVTuberの可能性とか、リアルと仮想空間の〜とか、よくわからない横文字の羅列が並ぶ。よくわからないからSNSを閉じた。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーー

花譜は、より子。の「Na-MI」知ってるかな。歌ってくれないかな〜とか、花譜はカップラーメンとか買うのかなとか考えながら、いつもの夜をいつも通りに帰った



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