見出し画像

音楽随筆集/狐火ニューアルバム「41才のリアル」

 狐火のポエトリー・ラップを初めて聴いたのはYouTubeで「Answer Pellicule」の動画を観た時だった。当時の私は不可思議/wonderboyというラッパーの「Pellicule」という曲に偶然出会い、惚れ込んでいた。アーティストの詳細は調べず、亡くなったことも知らないでいた。関連動画で出てきた狐火の「Answer Pellicule」の歌詞の中で、彼の死を知った。サマソニ出演のかかったイベントの前日、不可思議/wonderboyは交通事故で亡くなってしまう。彼の死が発表される前まで、狐火は投票上位だったが、不可思議/wonderboyへの追悼票が集まり、狐火は抜かれてしまう。
「その票を、どうして彼が生きている時に入れてあげられなかったんですかね」と狐火は憤る。

 以来、私は生きている狐火を応援している。

「27才のリアル」から始まる「リアルシリーズ」も41才まで年齢が上がった。昼間は派遣社員として働いている彼の立場も昔より上がっている。

1.「ラップしてハラスメント」
 テレビ局のディレクターに延々と「今の気持ちをラップにしてください」というハラスメントを受けたエピソード。松尾芭蕉にも「今の気持ち俳句にしてください」って言えますか、と、しまいには合コンに来る松尾芭蕉の話になっていく。合コンに来る松尾芭蕉ならあらかじめ枝豆の俳句用意してくるんじゃないか、という話を世界で初めてラップにした曲。

2.「炊き上がり」
 こちらは世界初とは断言できないが、「我が家でのお米の炊き方」についての曲。

3.「埃舞うあの頃」
 昔飼いたかった野良猫につけた名前「ノラミャオ」をセール品で買ったロボット掃除機につけた話。いつの間にか曲のレビューというより、短編小説集の解説みたいになってる。聴き終わる頃にはロボット掃除機に生命と意志があるかのように思えてくる。

4.「続く今、風が通り抜ける」
 前歯が折れた話第一弾。財布と前歯をなくした男がなくした財布と前歯を求めさまよう様子が歌われている。

5.「見つからない物と見つけたもの」
 前歯が折れた話第二弾。財布と前歯をなくした男が仲間の誕生日飲み会で幹事を務めるが、ノンアルコールビールで「財布と前歯同時になくしたことあるんすか」と愚痴をこぼして参加者に怒られる話。

6.「身分証明」
 前歯が折れた話第三弾。身分証明書を全部なくしたのでマイク一本で自分を証明してやる、という話。これまでやってきたことはわざわざ言わなくても第一声に宿るらしいよ、という部分が胸に響く。多分ビールジョッキにぶつけて前歯は折れたんだろうけど、歯医者さんに折れた理由を聞かれたら「生きがいとぶつかって折れたんだ」って言うと誓う話。

7.「前歯」
 タイトルから推測される通り前歯が折れた話第四弾。四年前に会ったのと同じ先生に「また前歯折った?」と聞かれ、「生きがいとぶつかって折れました」と言えず「マイクにぶつけて折りました」と言ってしまう話。なんでかドラッグストアで買ったビールは身体によさそうな気になってくる話。

8.「ボンネットリターン」
 ついに折れた前歯が出てこなくなった話。20年ぶりにサシで先輩と飲む話。自分で奢りますと言いながら、先輩が奢ってくれることを期待し続けた話。狐火のなくした前歯と財布の話が出てこなくなったと思ったら、昔先輩がなくした財布の話が蘇ってきた話。

9.「41才のリアル」
 リアルシリーズ41才バージョン。年配の方に仕事を教えている時に言い方がきつくなってしまったり、「27才のリアル」の中にいた年下の上司に「最近は仕事もがんばってるじゃん」と声をかけられたりする話。

10.「弟にあげる」
 昔弟とラジカセでアナウンサーごっこをした思い出。自分には弟はいないしラジカセで似たようなことをした思い出もないけれど、まるで自分にも似たような思い出があったんじゃないかと思えてくる曲。

11.「家を解体した」
 ラップって聴かないし、とか、ポエトリー・ラップって何? とか、この人の声質はあまり合わないな、とか、折れた前歯の話多すぎない? とか思ってアルバムの途中で引き返してしまった人にも、飛ばして飛ばしてもいいからアルバム最後のこの曲だけでも聴いてください、と思える曲。50年前に建てられた実家の建設当初に思いを馳せる曲。震災の時に泥棒に入られて悔しがったことを思い出すという曲。「無くなって初めて気付くんじゃなく、無くなって初めて考えるんだと思う」。

 音楽アルバムというより、一冊のエッセイ集を読んでいるような。
 なくした財布と前歯の話が長く長く続く、ごく個人的な、決してベストセラーにはならないエッセイ集だけれど、偶然触れた自分にとってはとても大切な一冊になるような。

 お風呂の準備をしながらこのアルバムを聴いていたら、娘が「これ誰の曲?」と聞いてきた。「狐火っていう、パパの好きなラッパーが新しいアルバムを出したんだ」と答えると「死んじゃったの?」との問いが飛んできた。昨年チバユウスケが亡くなった際に彼の曲ばかり聴き続けていたことを思い出したのだろう。

「生きてるよ。応援してる」私はそう答えた。

(了)



入院費用にあてさせていただきます。