ドット・マトリックス
※個人の感想です。
初めて単語を知ったのがデジタルモンスターのアルカディモンなんて恥ずかしくて言えないのですが駅のホームで見かける時刻表の方式もドットマトリクス方式だとか。
ゲームのドット絵はたたえられるのにこうした表記はあまりほめられないあたり、人間の尺度ほど正確性のないものはないのかとまた空を見上げるように首の痛みを人間を視界に入れないように気をつかう。
三原色ですら今はまぶしいのかもしれない。
住んでる場所をはなれたいから余計に。
この考えも誰かにすられたものなのか自分自身の願望かもう今は分からない。
これを話したところで誰かに助けてもらえるわけでもないが三原色やドットが生まれ、色も使い方が素人じゃ分からないほどには複雑に数多く存在する。
敵はどこにでもいる。
それらを多く記録するためにウェブ投稿をやることが目的になってしまった。
ただその段階まで行くということは早い段階で本来の物語を満足したモチベーションで書ききってしまっていたのかもしれない。
ドット・マトリクス形式の技術の結晶としてLEDビジョンになってしまったのだろうか。
田舎で自然があるくらいしか長所がない場所で蛍光灯だけLEDと防虫対策されいる金の使い方しかされない、むなしいシンボルとかしたのだろうか。
もう新しい目的に妙な理想を合わせないように書き続ける必要があるのかもしれない。
人間のドット・マトリクスなんて誰も見ないかもしれないから。
技術もなんでも結局生きている人間のさじ加減でしかないことに内臓が毒物の消化をさけるように怒りを感じたまま、生かされていく。
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