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ボタン

風呂が壊れた。
我が家では二年に一度、風呂が壊れる。

小学四年生の頃、今の家に越してきた。それからご丁寧に二年空けては風呂が壊れ、直しを繰り返している。風呂が壊れるたびに、我が家は歩いて近所にある銭湯へ行く。

銭湯の風呂は熱い。家の風呂は四十度なのに、銭湯の風呂は四十七度もある。母は「肩まで入りなさい」と言うけれど、とてもじゃないが無理で顔を真っ赤にしては、大きな声で十まで数えて風呂の外に出た。

風呂上がりの楽しみがある。瓶詰めのコーヒー牛乳を飲むことである。我が家の冷蔵庫には、麦茶か牛乳しか入っていない。甘い飲み物買う習慣がないのだ。風呂が壊れて、銭湯まで行くのは面倒だが、コーヒー牛乳を飲みたさに、スキップして銭湯までの道のりを楽しんだ。

小学六年生、初めて風呂が壊れた。その時に飲んだコーヒー牛乳の瓶を、私はいまだに大切に持っている。瓶の中には、色とりどりのボタンが入っている。

青色のボタンは、初めて好きになった男の子のシャツに付いていた。クリーム色のボタンは、書写の教科書を忘れた私に「あなたみたいな子は、一生結婚できない」と言った教師の服に付いていた。

私の感情の起伏に合わせて、ボタンを集めた。幸せな感情も、悔しくて泣いてしまった感情も、この感情を覚えておきたいと思ったとき、私はそっと相手からボタンを奪った。

風呂が壊れたのは全部で九回。そろそろ、瓶の中にボタンが入らなくなってきた。
十八年の間に、覚えておきたいと思った瞬間が、瓶詰めいっぱいのボタンの数だけある。ボタンを手に取れば、あのときの感情を思い出せる。

私の人生の小さなクライマックスを共に過ごしたボタンたち。ボタンに隠れた物語が、誰かの耳に届くことはあるのだろうか。

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