自分が自分であること、親であること

自分は何を大事に思うのか。

小学三年生の頃である。
全校生徒が二百人に満たない、大きくはないが、自慢して小さいと言うべきでもない中途半端な田舎に住んでいた。山と川に囲まれ、主要な駅まで車で三十分かかる。山の方には、新しくできる高速道路の足だけが見える。放課後には、二十店舗ほどの店が連なる商店街の中ほどにある駄菓子屋さんへ行き、握りしめた百円玉を工夫して駄菓子なり当時人気のアイドルのブロマイドを買う。裏店と呼ばれる、昼間から数人の男性がお酒を飲む店の一角にある、醤油、ソース、ポテトチップスと並ぶ棚からブタメンという小さなカップラーメンを買い、その場でお湯を入れてもらい外で食べることもあった。今の私が三十歳であるから、二十年前のことだ。その当時の都会の暮らしというものがどんなものか、私にはわからない。しかし当時の最先端の生活からは少し離れた、昭和の残り香が漂う中で、私は生きていた。

『ハリー・ポッターと賢者の石』。教室の中で分厚い本を読む女の子がいた。少し大人しい女の子で、三姉妹の真ん中の子である。「さっちゃん、お買い物をしてお釣りを一円もらったとするでしょう。でもたった一円だし、いらないって捨てちゃったとする。その後、どうしても欲しいものを見つけて買おうとした時に、お財布の中のお金が一円だけ足りない。そしたらどう思う?」と私に問うた女の子。「さっき捨てた一円を取りに戻る」と答えた私の愚かさに、少し「うーん」と悩んだ頭のいい女の子であった。当時の私にとって、教室の中で一人本を読む姿は大変大人びて見えた。大層分厚い本である。本を読むことが好き、ということを自覚せず、またその概念さえも知らなかった私には、壮大なことに挑戦する同級生の姿に感銘を受けた。そうして思ったのである。「私は将来、一人で行動し、自分の好むものを愛する人になる」と。

「物心がつく 年齢」で調べると、おおよそ三歳から四歳の頃であるらしい説明を多く見る。小学三年生の、九歳の私は少しぼんやりした女の子であった。世間の流れを認識せず、漠然と大人になる未来を、いつまでも到来しない未来として認識していた。年齢で言えばとっくに物心がついていたであろう私の、自我が芽生えた瞬間があるとすれば、きっとこのときだ。世の中の流れを知り、自分と外との境目を知る前に、私は、私がなりたい自分の像を、ぼんやりと掴んだのである。

あれから二十年の時が経った。私は私を愛しており、私が私である事実を、この上ない幸せだと思っている。エドガー・アラン・ポーの『黒猫』を借りた私に、母が「いい本を借りてくるね」と言ったのをきっかけに、本読む行為を好きだと思うようになった。当時は母に認められたかったのかもしれないが、今は純粋に本を読むことが好きだ。好きなものは他にもある。ピアノを弾いたり、一人でお酒を飲むのを好きだ。公園に行き、寝転んで本を読む。青い空に浮かぶ雲を眺めては、いい天気だなあと呑気に思う。そしてまた本を読む。二十年前の私が見たらどう思うだろうか。私は私のなりたい自分になれたのだろうか。

自分は何を大事に思うのか。
それは、私が私であることであり、私が私を大切にして愛する、その行為そのものである。この二十年で、自分を取り巻く環境は大きく変わった。私が子どもでなく大人になったこと。二人の子どもを授かり、その保護者になったこと。私を守る両親は、実は完璧な大人ではないと気付いたこと。商店街にもう店はなく、足だけだった高速道路には、車が走っている。ぼんやりしていた女の子は、ぼんやりしたまま生きていくにはあまりに大きなものを手に入れてしまった。

自分が自分であることと、自分の手に入れた大きなものを守ること、その両方が互いに反発しあって、自分の像が崩れ去る、それが今の私である。子を持つことの責任、親であろうとすればするほど、自分の中の自我が反発する。そして、自我を優先し、親の責務を放棄する無責任さを、私は持ち合わせていなかった。それは「自分の好きなことをやろう」という言葉では解決ができない、自分の心の問題で、このスイッチを押せば明かりがつきます、といった具合に0,1で全て丸く収まる問題ではない。要するに不器用なのだ。

子どもが私に「ゲームをやろう」と誘う。私はそれを断り、森見登美彦の『熱帯』を読む。少しの罪悪感と、本を読める幸福の両方を味わう。親としての生き方など、人それぞれ、十人十色だ。私が親として良しとしないことを、それは私の幸福だからと良いものとして行動する人もいる。また、私の幸福も、人によっては親としてのタブーであったりする。

自分が何を愛するのか、そしてそれを愛するがために苦しむ人生を、そう悪くないと思える日はきっとくる。九歳の女の子であった私が、いつの間にか大人になったのと同じように。


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