見出し画像

海外アーティスト理解のためのヴィーガニズム 〜"正しさ"と戦う時代に〜

1、はじめに

私たちは現在、自らの欲求のために、自由のために、正しさと戦う時代にいる。ほとんど完璧に論理的で、ほとんど完全に正しい思想がある。論理的正当性という強固な外殻に覆われた、多くの人にとって不愉快な思想がある。そのひとつがヴィーガニズムだ。

ヴィーガニズムは、(宗教上の理由を持つ国を除き)特にアメリカ、イギリスにおいて広がりを見せており、今日のアメリカにおいて、人口の6%、イギリスでは人口の7%を占める。今後さらなる広がりを見せるだろう。
そして今日、アーティストやセレブリティには特にその広がりが顕著である。
今後もヴィーガニズムに対して無理解、嫌悪感を持ったままだと、好きなアーティストのことを理解しきれず、好きなアーティストの楽曲どころか、洋楽全般に深く聴き込むことができない、もしくはその嫌悪感から、聴きづらくなってしまう恐れがある。それほどまでに、彼らにはその思想が拡大している。

2、ヴィーガンに近いアーティスト(主にラッパー)の例

彼らがその思想に至るには様々な理由があるが、まずその一例として、JAY-ZとBeyonce夫妻が最も有名だろう。彼らは環境問題の解決に寄与するため、かつ自らの健康のためにあるキャンペーンを始め、それからヴィーガンになる選択をした。そして彼らは今日まで、多くの人から完全菜食主義者であると見なされている。
しかし、Beyonceは、朝食に限り植物性のものを摂取し、かつ月曜日は完全菜食という生活を送っていることがニューヨークタイムズ紙で報道された。同じくJAY-Zは、一日二食を植物性食品による食事にしているようであり、両者ともに、プラントベースの食事を心がけているが、ヴィーガンではないということが分かる。
またJAY-Zは、ヴィーガニズムの関連投資で莫大な利益を得ているとされており、環境問題解決のためのキャンペーンもそのためであったのではないか、と噂されている。その証拠に、Beyonceがそのキャンペーン中(?)に毛皮のコートを愛用していたことが確認されている。(ちなみにファッション業界にもヴィーガニズムは広がっており、Armaniが先駆け、Gucci、PRADA、BURBERRY 、Versace、Michael Kors、Jimmy Chooなど多くのブランドがミンクなどの毛皮の使用を控えている。)
しかし、ほとんど全ての物事に商業的ニュアンスが含まれるこの時代に、これを強く責めることはできないだろう。結果として環境問題解決には少なからず寄与したのだから、まぁ良かった、と私は考えたい。

このように(彼らは単純に資産形成という意味合いも込められていそうだが)、アーティストがヴィーガン、もしくは菜食主義者になる動機として、健康のためだというものが最も多い。そして、その選択を可能にするだけの資産を有すること(単純に価格が高いがおいしいヴィーガン料理を買えること、専属の栄養管理士、料理人等を雇えること、植物性食品を提供するレストランや、最新の植物性食品に触れる機会が多いこと)がそれを促進させている。

私が好きなHiphop界でも、JAY-Zに続き、多くのラッパーが主に健康上の理由から、プラントベースの食事、生き方をしている。
これは、いま最もトレンディな音楽ジャンルとして広がるHiphopの性質を考えれば、最先端の思想、食事、生き方を取り入れることは自然なことであると感じる。

例えば、先日妊娠を発表したRihannaのパートナー、A$AP Rockyもその一人だ。Rockyは、生きた鶏の臭いへの嫌悪から始まり、鶏がどのような工程を経て私たちの食卓に並んでいるかについて学び、肉を食べない選択をとった、としている。Rockyはそのリリックでもヴィーガン(正確にはRockyは魚は食べるペスカタリアンである。※1)を宣言し、それをイケてるライフスタイルとして、周りに広めている。
そのため、同じくA$AP MobのメンバーであるA$AP Fergもベジタリアン(魚も食べない)である。

また、先日その料理本の邦訳が話題になったSnoopy Doggも実は現在、ヴィーガニズムを強く支持している。
彼はビヨンドミート(植物性由来の肉に似せた食品)を賞賛しており、そのハンバーガーを病院や学校に配ったり、それに投資したりとかなりヴィーガニズムに寄与している。
また、ヴィーガニズムを周りに勧めることは未だに偏見や反発が多くあるため、家族の食事にヴィーガンフードを忍ばせてその美味しさから広めていった、という逸話もある。
彼がそれに目覚めたのは、ホットドックの作り方の映像を見た時だ。彼は、動物愛護の観点から、ペットショップに反対を表明しているような人物であり、自分の目でホットドックの加工工程を見ることは衝撃だったのだろう。その後は「ホットドックを持ってきたクソ野郎の手からそれを叩き落とす。」のような発言もしている。
そのため、今後開業するとされる「Snoop Dogg」という名のホットドック屋も、植物性由来のものになるのではないか、と言われている。

また、おそらくヴィーガニズムに関して最も熱心なラッパーはWu-Tang Clanのリーダー、RZAだろう。
彼はヴィーガンラッパーのアンセム、KRS-Oneの「Beef」という楽曲を聞いてから、動物たちがいかに苦しみ、どういった過程を経て食卓に並ぶのかを学んだ時、ヴィーガンになったとしている。
そのため彼は菜食のみならず、「毛皮製品の製造を禁止する法案を制定させることに協力して欲しい。」という旨の声明文を発表した。
おそらく誰が見てもそう定義されうるヴィーガンは、Hiphop界ではRZAくらいではないだろうか。
そんな彼に感化されたのか、現在Wu-Tang Clanのメンバー10人中8人がヴィーガンであるらしい。(GZA、Ghostface Killahは確定として、ほかは誰がそうで誰がそうでないのかは明らかにしていない。)

さらに、Waka Flocka Flameもかつて完璧なヴィーガンであった。しかし、彼が「あいつら(ヴィーガン)はクソ警察みたいだ。」と発言したように、ヴィーガンという型にはめられ、そこから一歩踏み出したら叩かれるような状態に嫌悪とプレッシャーを感じ、現在はA$AP Rockyと同じく、ぺスカタリアンだそうだ。
おそらく多くの人がヴィーガニズムに嫌悪感を感じる理由も、ここにあるのではないか。意見を押し付けられ、個人の自由を犯され、自分が悪者扱いされることに不快感を覚えるのではないだろうか。しかし、そんな私たちの考えは間違っている。少なくとも論理的に正当性を持たない。これらについては詳しく後述する。

他にもヴィーガンやベジタリアンに近い有名どころのラッパーでは、
自分の健康と動物、環境のために、という真っ当なwill.i.am、Styles P、Jadakiss。
カリフォルニアのヴィーガンバーガーチェーンとパートナー契約をし、「食肉は殺人だ。」と題したソイミルクシェイクを発売したVince Staples。
15年間ほど菜食主義者だったが、「意地悪な性格になってきた。」という謎の理由でやめたAndre 3000。
魚は食べるLil Uzi Vert、Common。
魚について明言はないが、単に健康志向から肉を食べないDr. Dre、Drake、NLE Choppa、Jaden Smith。
癌にならないために、という理由で肉や加工食品を口にしないYG、故Nipsey Hussle。
完全ではないがDJ Khaled。
明言してはいないが、2019年時点で2年間チキンを食べていないとツイートしたことからLil Durk(?)。
俺は密かにクリスチャン、ヴィーガン、マリファナ中毒者だ。と10年以上前にツイートしたTyler The Creater(?)。

そして現在それに興味を持っているラッパーとして、
ヴィーガンスパゲティをファンに提供し、ヴィーガンの食事会にも顔を出すEminem。
以前ヴィーガンになりたいとツイートしたCardi B。
そのリリックでもヴィーガンをボロクソに言う、いわゆるアンチヴィーガンであったが、最近肉を控えだし、完全植物由来のコスメラインを発表したDoja Cat。

これでも一部であるが、ラッパー同士の距離が近いHiphopだからこそ、ここまで考えが広がったのだと思われる。
また、最初は健康のために始めたラッパーが多いが、そうしていく中で、環境問題や倫理的なものについて考えを広げるラッパーも少なくない。

その他有名アーティストの中では、Billie Eilishがまずあげられる。1度も肉を食べたことがないという彼女は、畜産や食肉産業の現場で起こっていることを学び、7年ほど前からヴィーガンである。
ファンたちに向けてその事実をシェアし、「動物をそっとしておいて欲しい。」、「自分の楽しみのために酷い扱いをされた動物を食べて何も感じないのであれば残念に思う。あなた一人の行動でなにも変わらないと思っているのなら、愚かだと思う。」と発言している。Waka Flocka Flameの例で記述したように、これに意義を唱えることはもはや論理的に正しくない。(後述)

その他Paul McCartney、Ariana Grande、Red Hot Chili PeppersのAntony Kiedis、The SmithsのMorrisseyなどもヴィーガニズムを盛んに呼びかけている。

ラッパー、ミュージシャンなどの広く芸術家や、俳優、モデルなどは、普通の人間より感受性が豊かであるために、(※2)動物福祉的な見方を支持するのだろうとも思われる。
音楽界に限らず、様々な業界で重要視されるヴィーガニズムは、もはや無知や無理解が許されない考え方、ライフスタイルなのだ。

3、ヴィーガニズムの正しさについて

次に、あまりヴィーガニズムに明るくない人は、それが正しい、ということに納得できないだろう。
しかし、ヴィーガニズムの論理的正当性に対する議論は、もう終わっている。決している。少なくとも、ヴィーガニズムを実践することとしないことでは、前者の方が比べるまでもないほど、正しい。
詳しい内容、ソースは様々あるが、下記のサイトにこと細かく記載されているので紹介する。
http://therealarg.blogspot.com/2019/02/VeganFAQ.html?m=1#a4
正しさを根拠立てて証明することは本文の趣旨ではないが、これを見ろ、というだけではあまりに不親切なので、一応ここから少しだけ抜粋し、私自身の考えも混じえながら、噛み砕いて話す。

まず反論として考えうるのは、「野菜も生きている。」という反論だ。これはおそらくヴィーガニズムに対する最もありがちで、かつ最も初歩的な誤解である。そしてこれは、ヴィーガニズムの根本理解を誤っていることから発されているものだ。
ヴィーガニズムは、命を大切にする思想ではない。ヴィーガニズムとは主に、苦しみの軽減を大切にする思想である。
つまり、動物は苦痛やストレスを感じるが、植物はそれを感じることはない(これは科学的に立証済みである)ため、全く問題にならない。

またもうひとつ初歩的な反論で、「他の動物も他の動物を殺して食べている。」というものがある。
これも違う。人間の倫理を他の動物に敷衍することがまず間違いだ。人間以外の動物は、肉食の他に、同種の暴行、殺害、レイプ、窃盗、など人間社会におけるあらゆる犯罪を犯しており、これら全てを良しとする場合に限り、この反論は成立する。つまり、人間と動物を同じ価値基準において善悪や正誤を定めることはできない。

ここで、人と動物は倫理、道徳的に異なるため、動物に配慮する必要はない。とする反論もある。
しかし、人間、ホモ・サピエンスという種の行為だけに正当性を与えることは、他種との違いをどこに定義しようが、進化論の観点から、明確に非論理的である。人間も動物も苦痛という概念を持つ物体である。というだけで、正当化は難しくなる。

さらに、健康上の話でも、アメリカ栄養士会、米国小児科学会から公式に声明が発表されている通り、適切に考えられた(ここが一般人には難しいところだが)完全菜食は、健康上全く問題がない。子供にさえ、である。むしろ健康にとって有益であり、様々な病的リスクを軽減する。これは前述のように、多くのラッパー、アーティストがヴィーガンになる最大の要因でもある。

また、よく見られる反論として、実験動物があげられる。ここは唯一論理との矛盾であるように思われる。"ほとんど"完璧な思想と言表したのはそのためだ。
しかし、ヴィーガニズムの実践においては、動物実験だけでなく、理論との矛盾を数多く抱えることとなる。だから実際には、ヴィーガンは、可能な限りで動物の犠牲を減らすことを信条にする。その論理と現実との矛盾こそが、動物の犠牲のおけげで保っている命を用い、動物の犠牲を減らそうとすることこそが、ヴィーガニズムの"倫理的"正しさの根拠ですらある。そのため、ワクチンや薬などの医療の恩恵に与ることに関しては仕方がない、と私は考える。
実際、Wikipediaのヴィーガニズムの説明は、「人間は不可能ではない限り動物虐待搾取することなく生きるべきであるという主義。」とある。
また、この論理矛盾を、動物に対する行為になんら疑問を持たず、それに対してなんら働きかけをしていない私たちが指摘する道理はない。そんな私たちが、ヴィーガンを偽善者呼ばわりする権利はない。
補足として、動物実験によって作られたもの(現状されているもの)を全て拒絶する、そのためには死さえ自然淘汰であるから、甘んじて受け入れるという完璧なヴィーガンもいるようである。ここまでいくと私は、彼らがそんな生を歩まざるをえなかったことに対する同情心しか持てない。憎しみや嫌悪感を持てるはずもないし、冷笑などできるはずがない。

最後に、「個人の自由であり、それを押し付けるな。」という言論がある。
これもまた、論理的に正しくない。私たちは、他の動物に苦痛と死を押し付けているからだ。また、前述のホモ・サピエンスの優位性に対する議論にもかかって、明確に誤りだ。(これは、反出生主義の根本的なところにもいえる。※3)
また、その言表の仕方、伝え方に問題があるとするのはまぁ分からなくもないが、意識あるものに苦痛と死を押し付けていることに強い手段で反対すること、語気を強めることはある程度仕方がない気がするし、そこに問題提起しうるだけの正当性を、私たちは一切持たない。
同時に、「人にはそれぞれの正義、正しさがある。」という言論もある。しかしこれも、人殺しや窃盗、レイプを正義とするような思想と全く同一であり、前述の「他の動物も他の動物を殺して食べている。」に対する反論からしても、今回に関しては全く的外れだ。
また、法的な正しさに正義の内容を委ねる考え方、「法律に従っていれば良い。」といった考えも誤っている上、かなり危険だ。
その誤りと危険性は、戦争やその他非人道的な行為、奴隷制、人種差別、性差別、障害者差別などが全く法規制されていなかった時代を考えればわかるはずだ。「お前も今、動物の犠牲の上に生きているから、文句を言うな。」という言論も、そこを考えれば否定される。
正しさが時代や人間の壁を超えるためには、論理的正当性を担保すること以外ありえない。またこの考えは、そのいかなる要因も無視して、「犯罪者だから悪だ。」などという短絡的な思想を生むことに繋がる。(※4)

その他様々な反論は、例えば前述のQ&Aサイトにおいて、ことごとく説明されている。終わっている議論を長々するのは不毛であり、本文の論旨でもないため、これ以上は控える。

ヴィーガニズムに限らず、環境問題、サステイナブルな社会を目指す動きは、多くの人から反感を買っている。インターネット上ではそれを冷笑するような言論も多くある。
しかしここまでで、理解から遠ざかっているのは私たちノンヴィーガン側で、かつ嫌悪感を感じるべきなのは私たちノンヴィーガンの動物に対する行為そのものである。ということが分かってくると思う。
また、ヴィーガニズムは過激思想でも、矛盾を孕んだ自己中心的なものでも、宗教的なものでもない。
意識あるものを否応なく劣悪な環境の檻に閉じ込めて、最終的に殺害することになにも問題がないと考える方が過激思想だろう。
一般に伝わる動物愛護は、犬や猫など、ペットとして、人間が愛玩する動物にしか向かない。例えばペットショップの存在自体を疑問視する動物愛護者も、いまだその多くは肉食だろう。そういった世間の考えの方が矛盾であり、自己中心的な考え方だろう。
伝わるはずのない感謝を述べながら、死肉に手を合わせる私たちの方がよほど宗教的だろう。

4、私の結論

そしてこの事実を知って、私たちはどうするべきなのだろうか。どうなっていくのだろうか。
おそらく、しばらくはなにも変わらないだろう。
私も含め、私たちの多くは、論理的正当性より、目に見えない動物の苦しみより、生活のしやすさの方が重要だ。焼肉の味の方が重要だ。イケてるレザージャケットの方が重要だ。
私たちが生きていくことにおいて、思想や信念を貫き通すことは、それらを曲げることより容易い。というより、所詮人は、貫き通しうるだけの信念しか持ちえない。諦めきれることしか諦めきれない。我慢しうることしか我慢しえない。自由意志はない、というこれもまたほぼ完全な理論は、選択という概念を不能にする。

言動不一致と矛盾。それこそが人間の本質である。合理化と理論化と正しさの先にあるノイズこそが、いわゆる人間性である。その人間性は、崩壊しえない。
"正しさ"は、それが権威を持って初めて有効になる。正義になる。ここでいう権威とは、法的なもの、もしくは多数派の論調などである。
ヴィーガニズム、広く種差別という思想が、法的に考えられること、多数派の意見になるには、完璧な代替食品、製品が生まれ、実生活上の不自由がなくなることがまず必要なのではないだろうか。普通の人間は、その程度にはずるい。
現代における奴隷制のように、家畜に対する扱いが裁かれる時代が来るのは、相当先のことであると思われる。

人間は、理論の他に、感情を持つ。全ての人間は、理性だけで行動、判断をしうるほど理性的ではない。
人間の営みにおいて、理論は感情を阻害する。感情は理論を阻害する。理性と感性のせめぎ合いが、結論を阻害する。

だから、極めて人間的な私は、こう結論する。「分からない。」
例えば私が、レザージャケットを着て焼肉を食べているところに、日本でヴィーガニズムを実践しうるほどの強靭な理性と感性と精神に呪われたヴィーガンがやってきて、私に説教する。その時私は、「すみません、でもレザージャケットが着たいし、焼肉が食べたいんです。」と虫けらのように謝るしかない。これは、奴隷制を悪だと分かって奴隷制を支持するのと全く同一である。しかし、これが感性と理性の撞着した物体である、人間である、私である。
他人の結論は他人に任せるとして、私の結論は、天に任せる。畜産の現場で起こっていることを学び、人間の飢餓や貧困について考え、代替食品、製品に触れながら、様々なことを少しづつ考えて、今後私がヴィーガンになること、つまり感情と理論の統合を果たすこと、"正しく"生きることを期待しながら、生きる。
そして私は、この開き直っただらしない結論が、ヴィーガンにとっても、ノンヴィーガンにとっても最も不愉快なものであることも理解している。
しかし、とにかく、ヴィーガニズムや環境問題について全く考えないこと、ましてそれをバカにすることはあまり良いことだとは思えない。
それらについて少しでも考える、行動、選択、判断の基準にそれらを加えるだけでも、社会全体に対する良い働きかけになる、と私は考える。

最後に、蛇足だが、そもそもこういった問題を全く考えない人間の方が幸せである。なにが正しいか、なにが間違っているかということを考えない人間の方が幸せである。人間の幸せとは、考えないことだ。
しかし、それを考えうるだけの理性に恵まれた、もしくは呪われた人間は、さらに根本的な思想に目覚める。その思想は、ヴィーガニズムとは切っても切れない。
なにかが終わることより、なにかを終わらせることより、根本的な解決がある。なにも始まらないことだ。これは、"完璧に"正しい。(※3)

5、おわりに

ヴィーガニズムに限らず、好きなアーティストの思想の内容(たとえそれが嫌悪感を感じるものでも、間違っているものであるとしても)と、それに至った背景を理解することは、そのアーティストに対する敬意であると同時に、その音楽を本当に理解することに繋がる。
これを広くいえば、他者の思想、状況、環境と、そうなった背景を理解すること(※4)は、他者に対する敬意と理解、つまり優しさに繋がる。これが広がれば、平和に繋がる。自己責任という冷たく、そもそも論理的に間違っている言葉も使われなくなるだろう。(※5)

※1 魚は痛みを感じるか
https://arcj.org/issues/fish/fish393/amp/

※2 芸術家の感性について

※3 反出生主義の論理的正当性と、私の結論

※4 コンテクストの理解について

※5 参考




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?