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13年の時を経ても私は愚かだった。

東日本大震災から13年が経つ。
私は被災者ではあるが被害は少なかった。
防波堤の近くに住んでいたが、津波の進行方向から外れた場所だったため
運よく津波の被害からは逃れることができた。

地震の影響か地盤が沈下し道路のあちこちに
亀裂が入ったのをいまだに覚えている。
被害についてはテレビや動画など見れば大体わかるだろう。
私が実際に見た津波被害で衝撃を受けたのはパチンコ店である。
パチンコ店のあの高い天井までがれきが隙間なく埋め尽くされている
廃墟をこの目で見たとき地獄という文字がふっと浮かんだ。

電気や水道が使えなくなったのも厳しかった。
とりわけ暖房というものが使えなかったので
寒さが厳しかったのを覚えている。
ガスは使えたのが唯一の救いだったかもしれない。

灯りを確保するためにロウソクを使い、
水を確保するために湧き水があるところに水を毎日汲みに行った。
親戚に「私は苦労して給水所を使ってるから、同じ苦労をしろ」と
言われたときは心身ともに非常に疲れる思いをした。

スーパーでの買い物にも苦労をした。
朝早くから整理券をもらい並んでいたが、
ルールを満足に守らない高齢者たちに阻まれ、
挙句の果てには罵詈雑言浴びながら買い物をしたのも忘れられない。

情報の収集にはラジオを使用した。
捨てずにとっておいた1つのラジオが
こんな形で役に立つとは思わなかった。
今でもラジオは手元に置いてある。

電気の復旧は被害の度合いを考えると早かったと感じたが、
水道の復旧にはそこそこの時間が要したと思っている。
電気の復旧により暖房を使えるのは安心したが、
お風呂やトイレなどが万全に使えないのはやはり不便を感じた。

この東日本大震災により、叔母と祖父を亡くした。
災害関連死というのだろうか、叔母は心労がたたり心臓の病に倒れ、
祖父は地震の恐怖から外に出かけなくなりエコノミー症候群で倒れた。
私はいまだに叔母や祖父を何とか出来たのではないかと考えている。
仕方がないことだと周りは言うが予期できなかった自分が腹立たしい。

そして13年の時が経った今、私は満足に働けない体になっている。
両親も高齢の域なのにこの体たらくは非常に情けない。
死への恐怖から逃れたいだけで生きながらえているだけの
何と浅ましい人間だろうか。

13年の時を経て分かったことは私は愚かな人間だったことだ。
そしてこの愚かな人間はこれからも無様に生きていくということだ。

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