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神降臨の旧演出版レ・ミゼラブル: 楽日公演

本当にこれで終わってしまうなんて、信じられない。

ほぼ休むことなく回転し続ける盆を巧みに使った85年開幕のオリジナル演出版を初めて見たのは、10年以上前。「一度は観るべき!」と、TKTSの列の前だか後ろだかにいた見知らぬ誰かに勧められたのが、きっかけだった。

前回見たのが6年くらい前。いつまでもあると信じて疑ってもいなかった。

旧演出版が終わることを友人から聞き、しかも楽日がロンドン滞在中であると判明し、慌ててポチったのが2ヶ月前。

綺麗な劇場!

仮釈放されたジャン・バルジャンが街から街へと転々とするシーンからほぼ止まることなく、盆は回る。まるで容赦なく過ぎる時のように。

コゼットが大人になり、エポニーヌに手引きされたマリウスと再会するシーンでは、回る盆の中央に屋敷の門が置かれ、門の向こうとこちらでエポニーヌとコゼットが対峙する。対峙する2人も、回る。3人の表情があらゆる角度から見えてくる。うおおお、なんてドラマチックなんだろう!

お互いの境遇がこれほどまでに変わってしまったことが、台詞ではなく、芝居ですらなく、盆の動きで全て伝わる。映画のカメラワークのような、詩人のペンのような、なめらかな視覚表現にぞくぞくが止まらない。

バリケードなど、あんなでかい物がどう設置できるんだと思うけれど、気づいたら上下から入ってきたバリケードが出来ているのだ。しかも盆上に。

バリケードも回るからこそ、「あちら側」と「こちら側」の表現ができる。

あちら側に銃弾を取りにいく小さきガブローシュが向こう側で倒れる。そのまま盆は回り続け、こちら側で愕然とするアンジョルラスたちを映し出す。

最後の抵抗で、バリケードのあちら側へ散った(なぜか宙ぶらりん状態の姿だけが忠実に映画化されたw)アンジョルラスを見つめ、回る盆に合わせて、変わり果てた学生たちが倒れているこちら側に向き直り、バリケード上に座り込むジャベール。

全ての動きに、演出家のはっきりとした意思や意図が見える。

翻る赤い旗の大きさも、印象的。この旗、こんなに大きかったっけ。

マリウスを助けたジャン・バルジャンが地下道に潜った(旧版は本当に潜る) 後の、盆に合わせた照明の使い方も鳥肌もの。地下道に所々上から差し込む月明かり。その光溜まりを横切っては先に進む2人。はー、美しい。

ジャン・バルジャンの最後のシーンだけ、舞台の奥行きをいっぱいに使うのもぞわぞわした。

他のシーンは紗幕を何段階にも下ろして奥行き浅めに使っているのだけれど、ここの下手部分だけは、全て開放する。とても遠くから、背中を丸めたバルジャンがよたよたとこちらに向かってきて、ロウソクに灯を灯す。小さな、でも確かな灯火が、ひと回りもふた回りも小さくなってしまったようなバルジャンを照らし出す。

遠くまできたね。約束を果たしたね。もう、いいよね。歩いてくるだけでそう思える。

スモークの使い方も巧みだった。

冒頭のスモークの中から浮かび上がる囚人たちのシーンに始まり、アンジョルラス率いる学生蜂起のシーンでも、その後、生き残ったマリウスが友を思い出すシーンでも、スモークそのものが怒りや悲しみといった感情を表現し、さらには現実との境界線も作り出す。

役者の芝居は好みが分かれるかも知れないが、演出は、まじで神

レミゼ旧演出を復活させる署名運動とかがあったら、絶対に参加する。

ラストの「民衆の歌」は、無くなってしまうこの演出版への思いなのか、作品への思いなのか、わけわからないままボロボロ泣いた。

忘れられない7月13日となりました。


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