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【素直な心とは】 宮古市田老町 「学ぶ防災」ツアーで感じた一番のこと

素直な心が大切です。

ご縁あって参加した岩手県宮古市での「学ぶ防災ツアー」は、この言葉で締められました。

きっかけは、仲間の何気ない一言でした。

泊まってみたいところがあるんです、岩手に。

震災来、東北へはなるべく足を運んでいたのに、コロナ禍でとんと足が遠のいていたのです。こいつは天啓!とばかりになんも考えずに飛びつき、暫くしてから行き方を調べてみたらばびっくりぽん。

都内から片道6時間かかるではないか!

北海道よりも、沖縄よりも遠い場所は、本州の北にありました。なんなら海外の方が近いやん。でもこれはえいやと行っとけ、と私の中の何かが叫ぶ。

てんやわんやで迎えた当日。新幹線と高速バスと、最後に三陸鉄道と、3つの移動手段を乗り継いで、到着しました宮古市田老町の、新田老駅。

三陸鉄道は海っぺたを走っているはずなのに、海がなかなか見えてこない。イメージよりも内陸なのかな?と思っていたら、さにあらず。

画面中央の白い壁が、新しくなった防潮堤です

物凄い高さの防潮堤が、海の全てを覆っておりました。
重低音と共に、何かを予兆するようなominousという言葉が頭に浮かぶ。「進撃の巨人」の壁のような印象です。巨人がこちらに入れない代わり、向こう側も一切見えない。

海側から見た壁

海が全く見えないこの怖さを、覚えておいて頂きたいです。

町を巡った後、震災のモニュメントのように残っているたろう観光ホテルの6階で、当時の社長が撮影した映像を見せて頂きました。

2階までは完全に津波で流されています
歪んだ階段と、壊れたエレベーター

2011年3月11日に撮影された映像を、撮られた現場で拝見しました。

映像で見る海は、直前まで沈黙していました。地震の後、35分後に津波が襲ったそうです。

だから、地震の直後に逃げた後、もう大丈夫かも知れないと判断して帰宅してしまった方もおられたそうです。そのうちの1人のおばあちゃまが映っていました。寒くて、おうちに上着を取りに帰ったそうです。できる限り急いで高台に向かっていくおばあちゃんの姿が、津波が襲う直前まで映っていました。

たろう観光ホテルから見える防潮堤

ビルの6階からビデオを構えていた撮影者が、おばあちゃまにかけている声も、入っていました。「津波が来るよ!」と。そのおばあちゃんは、結局助からなかったそうです。

また、津波の直前に出動した消防車も映っていました。防潮堤があるから、海は見えない道を走っていました。

もしも海が見えていたなら、高台に向かう方に左折をしたかも知れません。でも海は見えません。だから、消防車はまっすぐ進み、乗っていた3名の消防士さんは、殉職されました。

再建された防潮堤は、前よりも高くなり、人と海とを遮るように、ぐるりと海沿いを囲んでいます。

多少高いところに立っただけでは、海はもう一切見えません。

防潮堤があることで救われた命もたくさんある。それも何度もおっしゃっていました。時間稼ぎをしてくれたのだ、と。それは間違いのないことでしょう。だけれど、海が見えないことは怖い、そうおっしゃってもおられました。

当時の防潮堤に登り、その向こうに見える海の光景を目に焼き付けようと思いました。そこから見える海は、穏やかでした。

生死を分けるものが何なのかは分かりません。運かもしれません。運命かもしれません。壁かもしれません。そうじゃないかもしれません。

結論なんて出ないけれど、ここに来たこと自体が私の中の何かのタネになる。そう感じました。

この日は、高台に再建された、たろう庵に宿泊。

お出迎え

ベランダに出ると、宵闇に潮騒の声が聞こえます。海は確かにすぐ近くにありました。

焚き火って、延々見てられるよね

お宿は大変素晴らしく。お食事も大変おいしかった。

海の幸
あわび!
キンメ!

あれこれ、徒然なるままに沢山のことを話しました。

心を開いておこう。私にとっての他愛のない今日も、最悪の昨日も、誰かにとっては望めども得られなかった昨日であり、今日であることを、折につれ、心に刻もう。

散々飲んで、この日は終わり。翌日のオマケに続く。

たろう庵はこちら。

明日も良い日に。


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