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僕が大切にしている、指導における6つの柱

私はオーケストラでの演奏、自宅レッスンの他に中学、高校、大学などの吹奏楽部、管弦楽部の外部講師として指導する仕事もしています。偉そうな事を書くほど自信は無いのですが、今回はそんな指導者として気をつけていること。
 

私が初めて吹奏楽部の指導をしたのは、音大生の時でした。金管楽器の先輩から頼まれた記憶がありますが、どこの学校だったかまでは覚えていません。
今思うと、正直この時の指導は酷かったと思います。自分自身楽器に触れてまだ数年、今のように指導方針も確立していないし、奏法や知識の引き出しも少なく、生徒とどう接して良いか分からない。生徒にしても「歳の近いお兄さんが来た」くらいの感覚だっただろうから「彼女居ますか?」とか聞いてくるし、こちらも気軽に「いるよ」「え~彼女の写真見たい!」みたいな身のない会話をした記憶しかありません。

その後も音大生の間に何校か指導に行かせて頂きましたが、やるほどに「教えるのって難しい」と悩みが増幅し、悩んだ結果、私は指導を引き受けることを止め、しばらく演奏に集中し、まずは自分のスキルを高める事にしました。

再び指導し始めたのは30代半ばを過ぎた辺りからだったでしょうか。結婚して生活の基盤をしっかりさせたいという考えから、インターネットで生徒を募集してみると、少しずつレッスンの申込みが増えてきたのです。こうして自宅でレッスンを再開すると、やはり指導について頭を悩ませる日々が始まりました。

この時に思い出したのが、自分の家系でした。私の家族は日本のクラシック史に残る音楽家一族ですが、同時に指導者一族でもあります。祖父は国立音楽大学、父は東京芸術大学、母は東京音楽大学の教授。音楽から離れれば叔父も慶應義塾大学の教授、人を教えるスペシャリストの集団なんです。

幼い頃から祖父や両親のレッスンを何となく見てきた記憶を辿り、生徒によって方法を変えてみたり、言葉をかけるタイミングなどを考え始めました。
祖父のしつこいまでの基礎練習の反復、母の生徒を家に泊めてでも上達にかける情熱、父の科学的根拠に基づく指導など、家族から得たものは多いと思っています。同時に、ベルリン留学中に書いていた日記を読み返して師匠に言われたことを思い出し、ノートにまとめ文字に起こす事で頭を整理しました。

その後吹奏楽部の指導が全国から舞い込むようになり、少しずつ吹奏楽部の世界でコントラバスが酷い扱いを受けている現実が見えてきたので、教則本を執筆して出版社に見せたら、トントン拍子で発売が決まりました。

この教則本の執筆が私にとっては非常に重要な作業でした。どちらかといえば感覚で演奏してきた私が、初心者の為に如何に分かりやすく書くか思案していくなかで、自分の求めているものや奏法、それに至る練習方法がはっきりしてきたのです。

教則本を出版してからは以前にも増して指導の依頼が増えました。講習会の講師として声がかかるようになり、短時間でどこまで伝えられるかの基準も出来てきました。

この辺りから、心理学やコーチングの専門書を読み漁り、生徒とどんな会話をどこでするか、生徒のタイプをどう見分けるかを研究するようになりました。特に、技術とメンタルを追い求めるという意味でアスリートのインタビューなどはヒントだらけです。

音大生の頃は「吹奏楽講師」という肩書きの方に対し「現役(オーケストラ)で活躍していない人に何が教えられるんだ」と思っていた時期もありますが、今では「教えること」に特化した才能を持つ人が羨ましいと思っています。
ただ、以前の私のように「この人だれ?」「どこで弾いてんの?活躍してんの?」と疑ってかかる生徒さんも少なからずいるとは思うので、私自身、きちんとお仕事の依頼を戴けるよう、そして現場で経験を積めるよう努力を継続しています。

さて、吹奏楽の世界ではコントラバスに関しては相変わらず変わった常識が蔓延っており、機会がある毎に指摘しているので、一部の先生方からは疎まれているでしょうし、いつか吹奏楽界から干されるかもしれませんが、少しでもコントラバスを正しく理解して頂きたいという信念は曲げずにやっていこうと思います。

こうして現在も私は演奏活動と指導を行っていますが、忘れないようにしている事がいくつかあります。

「人はそれぞれ違う」

生徒は身体の作りも違えば育った環境も違うし考え方も違います。奏法は人それぞれ違っていて不思議ではありません。もちろん、最低限のルールの中においてですが、それぞれの体格に見合った奏法であるべきだと考えます。

曲に関しても、人によって練習方法やボウイング、フィンガリングなどを変えています。「先輩に聞いたら違うボウイングでした」と訴えてくる生徒さんもいますが、今の技術で出来ること、これから伸ばしていきたいことなどを考えたら違うのは不思議でもなんでもありません。「こうでなければならない」という一線は守るように心がけていますが、そこに至る道のりは一つではないということ。

「命令せず考えさせる」

生徒は感情のある人間であり、思い通りに動くロボットではありません。人間同士の会話を心がけること。

「ああしろ、こうしろ」と命令してその通りにやらせるのは簡単で、これは誰にでも出来ます。しかし、生徒の人間性を育てるなら、流れを与え、考えさせ、決定させ、行動させ、正しければ肯定し、間違っているなら修正案を示してやり、人の指示を待つ人間ではなく、積極的に行動する人間を育てるのが一番大切ではないでしょうか。

「ミスを責めない」

吹奏楽部では、先生に叱られる事を怖れ、積極的に演奏出来ない生徒をよく見かけます。間違えると「すみません!」とすぐ謝る。普段から合奏で怒鳴りつけられている事が容易に想像出来ますが、せめて個人レッスンでは積極的に弾いて貰うため、「ミスしても良いから前向きな演奏をしろ」と口酸っぱく言っています。

積極的なミスについては認めてあげる事が大切。その代わり、同じミスを繰り返したり消極的なミスをしたら厳しく注意します。

「礼儀」

今の時代は親から礼儀やマナーを学んでいない子供が驚くほど多いです。それどころか、親ですら信じられない無作法な人も少なくありません。子供たちが社会に出たときのため、時間を守る、挨拶をする、メールでの言葉の使い方など最低限のマナーは伝えておきます。

稀に、レッスンの日時を指定してくる親がいらっしゃいます。こんな時は「私も仕事をしているので、私のスケジュールに合わせて欲しい」と伝えるようにしています。「私の娘は部活が忙しいので」と言われた事もあるのですが、この人は私が一ヶ月家にいる暇人だと思ったのでしょうか 笑

大切な連絡をしてこない生徒も論外ですね。次のレッスンを決める連絡、欠席の連絡、受験やオーディションの結果連絡。何事においても連絡が遅い時点で信頼関係が構築されていないと感じます。

音大受験希望の生徒がいると、私が基礎を教えて受験直前に音大の先生に紹介するパターンが多いのですが、音大の先生に紹介する際「この子は危ない」と思ったら、玄関先からレッスン室に入るところから、レッスン終了後までの挨拶を全てメールで送って厳守させるようにしています。残念ながら、ここまでしなければならない生徒さんは決行いらっしゃいます。

以前、あまりに礼儀がなっていない生徒がいたので、カフェに親御さんを呼び「申し訳ないが躾は親の努めだと思う」と話し合いをした事もあります。こうして学生さんにレッスンをしていると、私も2児の父として、こうした礼儀だけはきちんと伝えていかなければと強く思いますね。

「他人を否定しない」

私のところに来る生徒さんは、それまでに違う先生に教わった経験を持っている場合があります。当然、奏法に違いも出てきます。そこで「それは違う」と否定してしまうのではなく、「いろんな奏法があるけれど、僕はこういう奏法、考え方で楽器を演奏しているから、ウチに通うならそちらに考えを寄せよう」と話を持っていくように気をつけています。
結果、合わなければ自然と去って行くだろうし、こちらも去る者は追いません。正直、先生と生徒には相性もあると思うので、合わないと思ったらすぐに違う人を紹介するようにしています。

ちなみに、音大受験生の場合、音大の先生から「僕と君のダブルでやろう」と提案される事もあります。この場合も「きっと○○先生はこう弾くと思うからこうやって練習して。ちなみに僕はこう弾くよ」と先生の指示を予測した上で自分のやり方も伝え、生徒の引き出しを増やしてあげます。ここで情報を与えすぎると混乱を招くからバランス感覚が必要です。

師弟は相性

自宅レッスンなどをやっていると、突然連絡が来なくなったり「怪我をした体調を崩したので治ったらまた行きます」と言ってそのまま来なくなるケースも少なくありません。こうした時「怪我した」と言われた時点で「もう来ないな」と予想出来るのですが、結局相性が悪かったのでしょう。生徒には先生を選ぶ権利があります。先ほども書きましたが、相性が悪ければ自然と去っていくものです。

この数年はなかなか変わってくれない吹奏楽の世界に疲れてしまい「もう吹奏楽はいいかな」と思う事も増えましたが、生徒の顔を見ると「もう少しだけ頑張ろう」と思い直す事を繰り返しています。

最近では「もっと早くレッスンを受けたかった」との声もたくさん頂けるようになり、悩みながらもある程度自信を持って指導出来るようになってきましたが、「上達しなければ指導者の責任、上達すれば生徒の努力を認める」くらいの気持ちでこれからも生徒と接していきたいと思っています。皆さまからのレッスン申込み、お待ちしております。

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