"働きたくても働けない"壁をぶち壊して、誰もが"その人らしく"働ける社会に


今、私は「私らしい働き方」について日々模索して考えを巡らせている。しかし、考えれば考えるほど、今の私では、いや、今の社会では"私らしい働き方"を手に入れることは難しく、働くことさえままならないのが現状だ。


四人の子供がいる私は、子供達の年齢や生活スタイルに合わせて働き先を選んできた。コンビニの店員、医療事務、ガソリンスタンドの店員...など、たくさんの職種の中から家族の生活スタイルと時給やシフトなどを照らし合わせて一番良さそうなところで働いてきた。最近ようやく一歳半になった次男が産まれるまではコンビニで働いていて、出産したらすぐに復帰するつもりだったのだが、今はこうしてまだ収入は少ないけれどライターとして働いている。では、それは何故か。それはずっと「文字を扱う仕事をしたい」という気持ちがあったことに加えて、もうひとつの理由があるからだ。



先日、四歳になった我が家の長男が「自閉症スペクトラム」だと診断された。

次男が産まれた年に幼稚園の年少さんになった長男は、入園当初から母である私から離れることを極端に拒み、園服を着ることに抵抗し、泣いて暴れて登園拒否が激しかった。毎日のようにその様子を見ていて、私はすぐに「この様子だとしばらくは働けないな」と悟った。でも、四人育てていく上で収入は必要だし、少しでも社会と繋がっていたい気持ちもあって、「今のこの時間を有効活用しよう」と思い、昨年の夏頃にこのnoteを始めた。そこから色んなご縁があって、少しずつライターのお仕事をいただいている。

自閉症スペクトラムだと診断された長男は、年中に上がるとあんなに激しかった登園拒否が落ち着いてきた。しかし、根底にある母子分離不安は変わらないのでやはり安定して通うことは難しく、このnoteを書いている今日も「お腹が痛い」と言って園を休んだ。「長男から休みたい旨を聞いたときは、次の日は行くことを約束して休ませる」というルールを我が家は設けている。無理して行かせるよりも、時には休憩をしながら長く幼稚園に通えることのほうが大切だ。短距離走ではなく、長距離走。なにより、長男から「休みたい」「頑張れない」という言葉が出ることはこれから先のことを考えてもとても良いことなので、絶対に無理はさせない。それは、夫婦共に一致している考えであり方針だ。

長男に無理をさせたくない。
その気持ちに嘘は無いし、本当に心の底から思っている。でも、それと同時に「じゃあ、私はどうやって働いたらいいんだろう」「母としてではなく、私としての人生はどうなるんだろう」という気持ちも少なからずあるのも事実だ。

もし、私が今から外で働くとしたら、長男がいつ園を休むか分からないため急な休みが取れるような仕事先を見つけなければならない。しかし、そんな都合の良い職場は極めて少ないだろう。しかも、ここは地方の田舎で働き先が限られているから尚更だ。そしてこれから先、長男が小学校に上がったときも彼が安定して登校出来るかは分からない。正直、今の様子を見ているとそれは難しいのかな、と薄々と感じている。小学生になった長男がずっと家にいることになるかもしれないことを想定すると、やはり外で働くことは難しいなと思う。

いつ、長男の身に何が起こっても臨機応変に対応出来ることが母親である私に求められているのだ。それは、長男のことだけに限った話でもないのだけれど。子供は何かしらのアクシデントがよく起きる。


発達障害児やその他の様々な事情によって登園・登校が難しい子供がいる保護者、介護が必要な家族がいる、自身が病気や障害を抱えているなどの理由により働くことが出来ない人のなかには、"働きたくても働けない現実"に悩みや葛藤を抱いている人も少なくないだろう。

私もそうだ。

私にとって"働くこと"は生きていく上で必要なことだと思っているし、もちろん家族のため・生きるために収入を得たいし、なにより"誰かの役に立っている"、"社会と繋がっている"という実感を得たい。私が私らしく生きるために、働くことは必要不可欠なのだ。


しかし、"働きたくても働けない現実"を個人で解決することはとても難しい。この問題は、国が、社会が一緒になって考えていくべき事柄だと私は思っている。そもそも、働きたくても働けない人達が多くいるということは、社会にとっても大きな損失なのではないだろうか、と私は声を大にして言いたいのだ。特に私のような、周りの環境を整えることが出来れば働けるようになるかもしれない人達は社会の中に本当にたくさんいるのではないだろうか。たとえば、小学生以上の子供を預けられるような保育施設があったり、介護施設・支援の増設、社会がもっと障害や病気に対しての知識を付けて寛容になれたとしたら、きっとこの現状は変わってくるだろう。人それぞれ様々な事情を抱えていることを理解し、障害や病気があっても無くても「迷惑かけるのはお互い様だ」という意識を社会全体が持てるようになったらいいのになと強く思う。誰もが働けるように労働環境を整えて、社会の意識を変える。そしたら、きっと私のように「子供のことは大切にしたい、でも私らしく働きたい」と身動きが取れずに窮屈な思いをしている人達が減っていくのではないだろうか。そのためにも、社会がもっと真剣にこの問題に対して向き合って欲しい。働かなければ、明日の生活が苦しい人がいることを忘れてはいけない。もっと言えば、働かなくても日々の生活が保障されることがなによりだろう。


当たり前だが、私は働けないことを子供のせいにしたいのではない。子供のことを一番に大切にしたいからこそ、悩んでいるのだ。

この文章を読んでいるあなたの周りにも、もしかしたら働きたいけど何かしらの理由があって働けないことに悩んでいる人がいるかもしれない。そして、誰しもがある日突然、働きたくても働けなくなるかもしれない可能性を持っている。だからこそ、身近な社会問題のひとつとして考えてみて欲しい。


そして、働き方にも、もっと多様性があってもいいのではないだろうか。外で働きたい人もいれば、家の中で働きたい人もいる。人の数だけ、その人らしい働き方がある。それが認められる優しい社会になって欲しい。綺麗事かもしれないけれど、この現実を変えるにはどんなに小さくても声をあげ続けなければならない。自分の小さな違和感や不自由な気持ちに蓋をして、気付かないふりをしたままにしてはいけないのだ。同じようなモヤモヤを抱えている人達が共に声をあげ続けていけば、それはいつか大きな声となって社会の問題として焦点を当ててもらいやすくなる。もっと、"多様な働き方"について社会全体で考えていかなければならない。


今の私にとって、"私らしい働き方"は家族の生活スタイルに合った働き方だ。今は長男のことを一番に考えて、寄り添ってあげたい。しかし、それと同時にどこの誰のでもない"私の人生"を生きていくうえで働くことも家族と同じように大切にしたいのだ。

しかし、今の日本の社会ではそれは難しいだろう。
私が思い描く"理想の働き方"を叶えられるときが来るまで、私は声をあげ続けたいと思っている。

目の前に立ちはだかる壁は高いけれど、いつかそれをぶち壊して、私は"私らしい働き方"を掴み取ってやるんだ。





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