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宮崎史学から見た日本史の時代区分

 宮崎市定は、「古代」の特徴を都市国家又はその連合体に、「中世」の特徴を貴族制という地方の面的社会支配の優越に見出した。では、日本史における「古代」とは、どう位置づけられるのだろうか?
 平安後期は貴族制の全盛期とされるが、宮崎史学のフレームワークからは、「中世」ということになる。そして、それが院政期を挟んで、少なくとも戦国期まで継続しているということになる。院政期、すなわち11世紀からを日本の中世と考える枠組みも大分、普及しているので、それを藤原摂関時代という貴族制期にまで適用するというのも、あながち不自然ではない。
 さらに言えば、そもそも、宮崎史学でいう都市国家又はその連合体を序列化して社会組織を構成していた時代という意味での古代は日本ではいつのことになるのだろうか。素朴に言えば、弥生時代当たりから、飛鳥時代ということになるのだろうか?
 そう考えると、天智・天武朝あたりが古代末期の「古代帝国」時代となり、それが奈良時代に繋がり、平安期に入ると、中世への移行が始まるというパースペクティブになる感じということか?