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【ふしぎ旅】慈光寺の天狗

 新潟県五泉市(旧村松町)に伝わる話である。

 慈光寺は元弘年間(1330年代)の開基と言われ、境内には古木がうっそうと茂り、昼なお暗いほどである。
 昔、この寺に実直な寺男が働いていた。
 ある日、和尚が隣村へ、法事に出かけたので、のんびりと軒先に腰かけていると、どこからか鼻の高い赤ら顔の旅僧が訪ねてきて
 「どうだ、京都へ行ってみないか。祇園や島原の賑わいは、田舎者には想像がつかないほど、素晴らしいぞ」
と言った。
 寺男は、急に目を輝かし
「一生に一度は、ぜひ行ってみたいと思っておりますが、金もありませんし、あきらめているのです」
と答えた。
 すると旅僧は
「わしが連れて行ってあげるよ」
と言うなり、男を背負って、空へ舞い上がった。
 しばらく雲の間を飛んでいたが、やがて着いたところは京都だった。
 都大路を牛車に乗っていく殿上人や、美しく着飾った京美人、見たことも聞いたこともないものを並べた商家など、どれもこれも珍しく、寺男は夢を見ているような心地だった。
 男が時間のたつのも忘れているうちに、夕暮れになった。
 旅僧は「それでは帰ろうか」と言って、また背中にのせて舞い上がり、慈光寺の庭先で男を下ろすと、どことなく立ち去っていった。
その夜、寺男が和尚にこの話をすると和尚は
「天狗さまが、お前の実直さに感じて、慰労して下さったのだ」
と言った。
 いまも天狗が住んでいたという大杉が残っている。

小山直嗣、『新潟県伝説集成下越篇』 
慈光寺

慈光寺は、先にも書いたが大蛇伝説が残る寺であるが、また天狗伝説でも有名でもある。

慈戒堂

  本堂裏手には慈戒堂(天狗堂)とも言われている堂がある。
 ”慈戒和尚”と呼ばれる天狗が祀られているという。
  “慈戒和尚”は慈光寺開祖、傑堂能勝禅師より法力を賜り、超人的な力を持っていたと伝えられる。
天狗とは言いつつ和尚と呼ばれるくらいなので、徳の高い者であったろう。

天狗堂

 よく天狗は神通力をもち、怪力で空を飛ぶなど運動神経も高いと言われている。
 山伏の格好をしているのは、天狗こそが(岳修行をする修験道者である山伏の理想形の姿だからという説もある。
 とすると、慈光寺の天狗と伝えられる、慈戒和尚などは、霊峰白山で修行し、徳を積んでいるのだから、これで怪力の持ち主であったりすれば、たとえ天狗でなくとも、山伏の理想の姿だったであろう。

天狗堂への参道

 案外と、話の真相はそちらで、非常に優秀な修験道者が、和尚になり、そしてその超人的な働きから、天狗と呼ばれるようになったのではないだろうか。
 さて、先にも書いたが慈光寺の裏手には天狗堂がある。
 このあたりにある杉が天狗が住んでいたという杉なのであろうか。

天狗堂付近の杉

 この他にも、境内入り口付近聖界と俗界の堺とする結界石として置かれている姥石は、いたずら好きの天狗が山から大石を投げたところ、その場にいた姥と子を下敷きにして殺してしまったなどという伝説もある。

姥石

 他にも、いたずらをしたり、逆に寺の建物をあっと言う間に作ったりなどという、天狗の伝説は多く残っている。 

奉納された天狗面

 霊峰白山の修験道者たちと強く結びついているのであろう。
 本堂の方にも大きな天狗の面が奉納されていることからも、天狗を妖怪とするよりは神聖視されているように感じる。
 かと思えば、先に書いたようにいたずらをするあたりは、非常に人間臭くもある。
 おそらく、もともとの慈戒和尚なる人物が、徳が高く、かと言ってお高くとどまっているわけでもない気さくな人物であったのであろうと思われる。

天狗堂に奉納された天狗の下駄

 伝説にある京都に連れて行ってもらった寺男にしても、慈戒和尚が密かに路銀を男に渡し、自分が渡したというと周囲に角が立つから、天狗に連れて行ってもらったという風に話しておけなどと言ったのでは、と想像するのも面白い。 

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