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【ふしぎ旅】福島潟

 新潟県新潟市豊栄地区、および新発田市紫雲寺地区に伝わる話である

 昔、紫雲寺潟のほとりに紫雲寺という寺があった。ここに若く美しい小僧がいた。
この小僧は毎日夕方になると鐘楼に現れ、鐘をついたが、これが村の娘たちの評判になり、娘たちは、遠くから、この姿を見て、ため息をもらしていた。
 当時、この村に真野長者という豪族が住んでいた。
 長者の一人娘、お福もこの小僧に惚れてしまった。お福は夕方になると庭へ出て、鐘楼で金をつく小僧の姿をながめ涙ぐんでいたが、ある日、鐘楼で小僧を待ち受け、綿々と胸の内を訴えた。
 しかし小僧は仏に仕える身、きっぱりと求愛を断った。しかしお福は泣きながらしつこく迫るので、小僧は恐ろしくなって逃げだした。するとお福は半狂乱になって小僧を追いかけ、紫雲寺潟のほとりまで着てしまった。

小山直嗣『新潟県伝説集成 下越篇』
紫雲寺潟があったあたりにある石碑

 もうこれ以上逃げることが出来なくなった小僧は、潟のそばでうずくまっていると、追いついたお福は小僧を抱いて、潟の中へ飛び込んでしまった。その夜から大雨が降りだし、七日七晩降り続いた。七日目の晩、村人は潟の真ん中で、小僧をくわえた大蛇の姿を見たという。人々はいまさらながら女の執念の恐ろしさをしみじみと感じた。

同上
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かつて紫雲寺潟があった辺り

 享保年間、信州高井郡米子村の竹前権兵衛、小八郎の兄弟が、紫雲寺潟の干拓を幕府に願い出た。
そして約十年間にわたり、私費を投じて、多くの新田を造成した。

同上
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干拓に使用された落掘川の開拓記念碑

 この干拓で潟はだんだん小さくなったので、潟の主となったお福大蛇はいたたまれず、ついに南の方にある大きな潟へと引っ越していった。

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現在の福島潟

 この潟はお福の一字をとって福島潟と名付けられた。
その福島潟も、その後、干拓が進められ、面積が半分以下になったので、お福大蛇は、この福島潟も捨てて、福島県の猪苗代湖へと引っ越していった。

同上
猪苗代湖

 それから福島潟でも、猪苗代湖でも、湖を舟で渡る時、紫雲寺のことを話すと、急に天候が変わり、必ず船が転覆すると伝えられている。

小山直嗣『新潟県伝説集成 下越篇』

 福島潟は、現在では野鳥の渡来地として、また菜の花や蓮の花などが美しい湖沼として知られ、観光客などで賑わっている。

 この福島潟は、干拓前は現在の倍以上はあったようで、水上交通や、漁なども盛んであり、人の往来が多かったようだ。
 そのため、天候によっては、大嵐となり、そんな時には湖の波にさらわれ、命を落とすものも絶えなかったようで、「(風で)髪の毛が三本動いたら潟に出るな」と言われるほど、用心した方がよいものらしい。
 そんな福島潟で亡くなった人たちの慰霊碑が湖の傍らに「水死亡霊塔」として建っている。

水死亡霊塔

 なんでも、雨の夜など、福島潟で怪しい火が飛び交うとか、近くの寺でお経をあげていると、本堂の後ろで見知らぬ人影が映るなどという噂が立ったため、この供養塔が立てられたという。

 お福の伝説の方に話を戻そう。
 紫雲寺潟は、かつては塩津潟と呼ばれており、現在の胎内市塩津あたりに広がっていた。

塩津潟付近の落掘川

 その広さ、約2000ヘクタールもあったそうで、漁業などもさかんであったが、度々、水害に悩まされており、また不作が続く中、新田開発がすすめられていたこともあり、竹前兄弟が長者堀(落堀川)の掘削工事を行い、紫雲寺潟の水を直接日本海に直接流す形にして、干拓、新田開発を進めたのは、伝説にある通り。

開拓碑付近の落掘川

 そこから福島潟へと大蛇は移ったというが、紫雲寺潟が干拓されたのが1730年頃で福島潟が干拓され、面積が半分以下になった頃(現在は10分の1程)文政年間(1820年頃)というから、およそ100年くらいしか大蛇は福島潟にいなかったこととなる。


福島潟

 そして、猪苗代湖へ移ったというのだが、猪苗代湖の湖の主に関しては、様々な話が伝わっている。
 新潟では福島潟の他に鵜ノ子潟の主であった蛟も猪苗代湖に移り住んだことになっている。

 猪苗代湖の方では、もともとの主であった大蛇と大ウナギの対決の話が伝えられている。
 猪苗代湖の湖南地域においては竜神様の伝説もある。
 さらには大亀が主だという話もある。
 一体、猪苗代湖の主は何体いるのだ、と不思議に思えるが、あれだけの広さがあるから、住み分けているんだろうか。

猪苗代湖遊覧船

 福島潟に関しては、ムジナ、カワウソ、イタチが化かしたという類の話や、湖漁の最中の雨の日に蓑笠に付いた雨粒が赤く光る”ミノムシ”と呼ばれる怪光の話なども伝わっており、人々の生活と深くリンクした自然豊かな湖だということが分かる。

 湖の主の話は、案外と、その自然が少しづつ無くなっていく悲しい現実のメタファーなのかもしれない。

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