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息子に学ぶ前向き思考【ムッタとヒビト#8】

こんにちは。くんぱす先生です。
医師として働きながら、2児の子育て真っ只中です。

長男:ムッタ(仮)小3
 小柄だが、考え方や発言は大人びている。優しい。一番楽しい時間はヒビトと遊ぶ時間だそう。反抗期まだ。
次男:ヒビト(仮)年中
 人見知りだけど慣れるとお調子者。ムッタのことが大好き。特技ドヤ顔。

ムッタは私立小学校に通っており、少し離れたローカル線の最寄り駅まで毎朝車で送っています。

私「ねえ、ムッタ。通学って大変?」

ムッタ「え?全然大変じゃないよ。」

私「そう?電車に乗って、バスに乗って、、遠くない?疲れない?」

ムッタ「んー、でもさ、楽しいよ。いろんな駅に止まるから『へー』って勉強になることもたくさんあるし。すぐ着くと楽なのかもしれないけど、僕は学校に行くまでの道のり、結構好きだよ。」

 !!!!!!!!


な、なんて前向きなんだ!
思わず、

私「ムッタってさ、そういうところすごいよね。『大変だなぁって多くの人が思うことの中にいい所を見つけてそれを楽しむことができる』って、大人でもなかなかできる人少ないよ。自分の置かれた場所を前向きに捉えるのがムッタの強みだね。」

ムッタ「『置かれた場所で咲きなさい』だね!」

この本はムッタの担任の先生が2年生のときに保護者向けに紹介して下さった本です。教室の黒板にもしばらく立てかけられていたようで、児童にもお話があったのかもしれません。
9歳のとき、二二六事件で父親を目の前で殺された経験をお持ちの著者渡辺和子さん。大学卒業後、ノートルダム修道女会に入られました。ノートルダム清心女子大学学長を経て、同学園理事長に就任されました。2012年に出版された本書は230万部を超え、5年連続でベストセラーランキングに入ったそうです。

私が妊娠・出産を契機に自身の専門の道を外れるとき、心理的抵抗がなかったわけではありません。
子育てに重きをおくため、総合病院でのハードワークからは離れるという道を自身で選んだ、とはいえ多少なりとも「今後どうするんだろうか」という不安がありました。

妊娠が分かってから慌てて3つの専門医を駆け込みで取得しました。
その専門医を今後活かせるだろうか。
バリバリとキャリアを積んでいく同期の背中を見ながら、そんな思いを巡らせた時期もありました。

介護老人保健施設に勤務していた当初、「私はずっとここにはいないし」と後ろ向きな姿勢だった時期がありました。
しかし、急に発想を切り替えられた時がきました。

「私にできることはしよう。今後ずっとここにはいないなら尚更、私がいなくなってもいい方向に施設が変わっていけるように。」

何か大きなイベントがあったわけではなく時間がそうさせてくれたように思います。

現在の認知症診療に携わるようになったのも受動的な理由で私の希望ではありませんでした。
しかし、そのときは比較的早く発想を転換できました。
以前記事にも書いたように
「内科医たるもの、今後『認知症を診れない』は通用しなくなる」と考えました。
専門分野ではないため、寄り道のつもりでしたが【認知症をやってきた】と胸を張れるレベルに診療スキルは上げようと思い精進してきました。

私だけではないはずです。
分野が違えど、同じような経験をされたことのある方は多くいらっしゃると思います。

それはむしろ『幅が広がるチャンスである』と捉える。

今、自分が置かれた環境で、自分には何ができるか。
こう考えながら日々過ごす人。

ここは自分のいるべき場所ではない。
こうやってずっと抵抗し続ける人。

その同じ環境で吸収できるものの違いは明確であると私は思います。

何かの本で目にしたエピソードです。
会社で来客にコーヒーを淹れる仕事しかなかったその人は、「なんで私がこんな思いをしなきゃならないのか。」と思いながら過ごしていました。しかし、突如「だったら私にしかできない仕事にしてみせる!」と思い立ち、とびきりのコーヒーを淹れる努力をするようになります。すると、来客の目にとまり新たなチャンスが開けていく、というエピソードです。

その道を究めるとその人にしか経験できない予想できなかった未来が開けてりするんですよね。

目指す別の未来があるのは素敵なことで、是非そうであるべきです。
だからといって、今の環境に悲観的になっているのは別の話であると思うのです。

ムッタとのやり取りの中に、自分の過去を照らし合わせ、初心に還ることができたそんな朝でした。

お読みいただきありがとうございました。


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