Abema TV コメンテーターに知識や教養は必要か

ニュース番組などのコメンテーターに知識がない人を出演させる必要があるのかというのは、以前から一般視聴者が疑問を抱いているようだ。
AbemaTVの討論番組はテーマ設定など面白いものも多く、司会の平石アナの進行も大変秀逸だ。
そんな中「そのテーマは興味がない」「まったく知らないです」と言い放つコメンテーターの石田さんに苛立ちを覚えているという一般視聴者の車載猫さんという方が番組出演していた。

まず「知らない」はまだしも「興味がない」というコメントは場をしらけさせる。
一方で車載猫さんもコメンテーターに答えそのものを求めがちであるように感じた。

では知識や教養がないコメンテーターは必要かという点についての私の答えだが、私はいて全然いいと思う。ただしそのための条件がいくつかある。

まず知識のないコメンテーターに求められるのは質問力だ。
与党と野党の違いもわからないと石田さんは言うが、「与党と野党って何ですか?」という質問はWikipediaで調べられるので番組内でするべきではないだろう。石田さんは「自分なんかがコメントしなくても専門家どうしで議論してもらう方が生産的」ということを言うが、これは質問力がない。

与党と野党の区別もつかないというのは、あまりにも知識なさすぎかもしれないが、例えそうであっても首相が一番偉いということさえ知っていれば、「なんで国民が嫌がる増税をやるんだろう」という疑問は知識がなくても浮かぶ。これは多くの知識のない人の感覚に沿っている。
「それは◯◯にお金を使うからだよ」という答えが知識あるコメンテーターから返ってくるかもしれないし「財務省には逆らえないんだよ」という答えが返ってくるかもしれない。
前者は一応意味がわかるが、後者の答えは「え?首相が一番偉いんじゃないの?」と素朴な疑問が浮かぶ。これをまた質問すればいいわけだ。

知識量がどの程度であれ、その知識を踏まえてそこから自然とわいてくる疑問や感情があるだろうからそれを発言すればいいのだと思うが、いかがだろう。欠けているピースを埋めていくような感覚だ。

知識量よりも問題を真正面から見つめようという姿勢とも言えると思う。知的な意味での謙虚さや誠実さだ。
英文解釈で英単語と日本語の意味を一対一対応させて置き換えてもわけがわからないことがあるだろう。それは例えばSVOCの中で必要な要素が欠けていて意味不明なのかもしれない。そのときそのまま放置するのか文法的な理由を考えるのか。その姿勢なのだ。
We need.という英文を見て、「私たちは必要です」と訳して出来上がったつもりになってしまうのか、「いやいや、何が必要なの?」と考えるかだ。
文系科目なんてこれの繰り返しにすぎないだろう。


一般の人たちがどのような疑問を持つかまで、知識が豊富な専門家が先回りして、解説しきることもできるだろう。
それでも番組を観ている側は、いかつい専門家よりも普段から馴染みのある芸能人が自分と同じような疑問や感情を示してくれる方が観やすいというのはあるだろう。

意見を言うのも同じだ。問答を通して得た知識を基に、芸能人などが意見を言うのも悪くはないだろう。
ここでその意見に反対の人は、「わかってないくせに意見を言うな」と言うこともあるが、そこまでで得た知識を基にここまで考えたという到達地点としての意見が表明されるのは構わないだろう。
それを覆す知識を得ればまた意見は変わるかもしれない。それを繰り返していくのが勉強だろう。

また個人的な体験談をもとに断定的に言うなという意見も番組内で紹介されたが、たしかに断定まではよくないが、みんなそれぞれ自分の生活世界を生きているのであり、そこでの肌感覚や困り事などを意見や疑問として示すのも意義がある。ただしこれも番組出演するコメンテーターである以上は、多くの視聴者の生活実感に近いものでないとあまり意味はないかもしれない。
専門知識も難しいが、視聴者に合わせての意見や疑問を示すのも観ている相手を読む力という意味では高度なコミュニケーション能力が要求されるのだ。

最後に、教養という言葉についてだが、これは問題設定の構想力のようなものだろうか。
例えば医療制度改革やライドシェアなどの改革について、個々の領域の知識は全くないとしよう。

改革が進まないよくあるパターンというのがある。何らかの理由をつけて、もしくは実際にちゃんとした理由があって規制がある場合に、今度はそこにぶら下がる既得権なるものが出来上がる。その利益を代表する議員やらそこから利権を得る人もいる。
もともとある程度正当な理由があっての規制だとするとその既得権を壊そうとすれば、それっぽい理屈をつけて改革に反対してくる。
こういったよくある構図を知っていれば、「誰が抵抗勢力で、どんな力関係で改革が邪魔されてるのですか?」という質問ができる。個々の業界の知識はなくとも、よくあるパターンがわかっていればそのパターンがわかっていない場合よりも、より本質的な問いをスムーズに発することができるのだ。これが問題設定の構想力ということだ。
ある程度は論点整理をしておくというのも議論もスムーズにする。それも問題の大枠がわかっていればこそできることだ。

こういったことを通して視聴者に有意義な番組が出来上がっていくと思う。
知識があるかないかではなく、どんな知識や教養がどの程度求められるのかということが番組ではあまりうまく議論できていなかったように感じた。

視聴者が議論に参加するという話も出ていたが、私は専門的な知識は全くないが素直な疑問をもち、論理的な欺瞞にはそこそこ敏感な方ので、機会があれば「プロ視聴者」として参加してみたいなとも思った。

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