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太陽の彼と、ぼくと

神さまに 祝福されし おさなごと
タウの十字と ことり達の声と

息子おもちくん、幼児洗礼に与った。

幼児洗礼というと馴染みのない方が多いかもしれないが、カトリックであるところのお宮参りのようなものだと思っていただけるといいかもしれない。
我が家は何代目かわからないカトリックの家系、私の曽祖父は長崎から神父さまの上京に合わせて東京へ移り住んだという過去を持つもので、祖母、父、私の幼児洗礼の写真も残っている。

💒🕊

さて。おもちくんである。

代々の通過儀礼、生後半年ほどで与るのが通例であったが、これを読んでくださっている方はお気づきの通り、おもちくんはその頃病院であった。

当時、私は、ひどく焦っていた。

我が子の退院はみえない。
わが子のいる病院に聖職者はいない。
生きて洗礼を受けられるかもわからない。

もしおもちくんが、洗礼に与ることなく神のもとに帰ることがあったら、彼は天国に居場所があるのだろうか。

医師たるものがなにを非科学的なことを、と仰る方もいるかもしれない。
だが、私を私たらしめているものは医学だけでなく、幼い頃から続けてきた音楽であり、文を書くことであり、そして根底に流れるクリスチャンの血である。
そして、産後の靄のかかったような頭とぼろぼろの身体を抱え、紫色の浮腫んだ顔でねむっている我が子の前で、ぼんやりとしながら、しかしなにか、ひどく焦っていた。

💒🕊

そこから、約1年。
1歳最後の日。

さまざまの幸せな巡り合いにより、おもちくんは洗礼に与ることができた。

太陽の、小さき花の、彼の名前をいただいた。

弱きものや動物たちにも説教し、簡素で自然で純朴な、清貧を愛した彼。
そして、おもちくんがいちばん似ていると評判の私の父から譲り受けた彼の名前である。

おめでとう、フランシスコ。

秋の爽やかな風の中、祝福のストラをまとい、護られるものとなったことは、なによりもありがたいこと。
お御堂のステンドグラス越しに届くやわらかな光につつまれ、私の焦りもゆっくりとほどけていった。

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