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堪忍袋の緒と汗拭きシートをぶち切る。

もう我慢できん。
今こそ、はっきり言おう。
嫌いです。
この時期、よく見かけるあれ、前から嫌いでしたが、この猛暑の中、わたしの我慢も限界です。
嫌いです。

それは、いわゆる汗拭きシート。
携帯用ウェットティッシュのような容器に収納され、つかうときに蓋代わりのシートをはがし、1枚ペロッと取り出す、あれです。
あの匂いが嫌です。「ケミカル!」です。フローラルだかシトラスだか知らんが、とにかくフローラルやシトラスな成分が含まれているとは思えない。
使った後、否応なしに漂ってくる匂い。汚いものは見なければすむが、臭いものはそういうわけにはいかない。
あの素材も嫌です。浜辺を散歩する機会があれば、足元をよく見てください。あれが汚らしく落ちています。
そう、あれは紙ではありません。プラスチックごみです。海を漂い続けます。
普段は、きちんとゴミ箱に捨てているのかもしれません。しかし、海辺で風にさらわれたシートを、荒波に飛び込んでまで回収する人がいるだろうか。
そして、汗をかいた後、「自分、きれい好きですから。ごめんあそばせ」とアピールするかのように拭く姿。
ああ、人はなぜ、自らが恥ずかしいと感じるポイントに偏りがあるのでしょう。
「汗臭いことに無頓着」と思われるのが恥ずかしいからこそ、これほどに匂いを拡散させ、おおげさに拭かないといけないのでしょう。
しかし、それなら汗をせっせと拭くその姿がなぜ恥ずかしくないのか。
背中やら脇やらに手を突っ込むその姿は「絶滅したはずの、おしぼりで耳の穴まできれいにする日本の中年男性を再び発見!」と科学雑誌に掲載してもらわないといけません。
不快な化学薬品臭をまき散らして、プラスチック製品をせっせと素肌にこすりつける姿。
周りの人、環境、自分の肌。これら3つへの配慮のなさが3拍子揃った無神経な自らの姿に、なぜ羞恥心をもたないのか。
上下水道の完備された場所なのに、なぜ、洗面台の前で濡らしたタオルで拭くという一工夫ができないのか。
(文句ばっかり言っていても仕方がないので、提案いたします。シートも包装自体も自然に還る素材を使い、成分もアルコールと天然のものを使用してはいかがでしょうか。持続可能な地球の未来のために、どなたか検討していただけると嬉しく思います。)

けれど、なんといっても、それをにこやかに見逃している自分が嫌なのです。
内心、ものすごく嫌なのに、嫌な理由だってこうして書いたように明確に自覚しているにも関わらず、我慢している自分こそが嫌です。
世間の多数派で常識だからという、まったく合理的でない理由の前に、ねじ伏せられている自分が嫌なのです。
こんな、些細な我慢がわたしにはたくさんあります。
無数の些細な我慢が、やすりのようにわたしの感性を少しずつ削り取っていきます。

ここでしか吐き出せない怒りを、我慢強く読んでくださった皆様に感謝します。


怒りをぶつけた小説がこちら。


第2部も連載中です。




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