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母なる失敗?

失敗は成功の母。
というのは、本当なのでしょうか。

失敗から人は学ぶ。
確かにたくさん失敗をしている、ということはたくさんの試行錯誤が重なっているということでもある。
試行錯誤=経験値アップにはつながるでしょう。
RPGでもレベルアップには経験値は不可欠です。

そして「失敗」という経験。
「あちゃー!」と驚き、「んもう!」と不甲斐ない自分に怒り、「…やってしまった」と恥じる。
この感情の動きが、さらに失敗体験にフラグを立ててくれます。
もう、二度とあんな気持ちになりたくない!と思えば、同じような失敗を避けることにつながるでしょう。
記憶領域の中では、同じような感情を引き起こす体験がソートされていきます。

「失敗」がもたらす感情の独自の部分は何でしょうか。「失敗」という体験だけが引き起こす感情という意味です。
わたしは「恥ずかしい」だと思う。
驚き、怒り、落胆…こうした感情はまきこまれ事故でも起きるでしょう。自分がしてしまった、という「恥」の感覚が伴うのが「失敗」の独自性。

ちなみに、「恥ずかしい」ポイントって人それぞれ、異なりますね。
ポケットにハンカチが入っていないのに、前髪が乱れているのが恥ずかしい。
電車の中で化粧するのに、眉毛かいてないのが恥ずかしい。
上から下までノーブランドの衣料品だけど、スマホはiPhoneじゃないと恥ずかしい。
…多種多様、なんじゃそりゃ?な恥ずかしいポイントがあります。

「恥ずかしい」と自分で思えば、それが「失敗」になってしまう(逆に、はたから見て大失敗でも、本人が恥ずかしくなければ失敗じゃない)。
しかし、本来の「失敗」とは冒頭に書いたように「試行錯誤」がもたらす結果のはず。
ただただ、恥ずかしい目にあわされ、避けようもない「失敗」が重なると、それは「成功」の母になるとはとても思えない。
プライドをやすりで削り落とされていくような体験で終わる。
屈辱にまみれ、愛想笑いをたやさず、人の顔色をうかがい続ける、猫よりも猫背の人間の完成です。
あるいは開き直って「失敗」そのものに同化し、周りを攻撃するかもしれない。

今、試行錯誤は権力のある強者にしか許されない特権のように感じます。
弱者は、仕事も生き方も選べない。
つながりの薄い社会で生まれ育ち、一度の失敗で職も、住む場所も一気に失い、転落する。
本当の「失敗」が許される寛容な世の中。それを望むのは私だけではないと思いたい。

そんな憤懣をぶっつけて書いた半獣人×人造人間のBL小説はこちら。


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