見出し画像

デイヴィッド・ホックニー展(二回目)鑑賞メモ

先日、二度目のデイヴィッド・ホックニー展の鑑賞のために東京都現代美術館を訪れた。正直なところ、一度見れば十分な気もしていたし、時間が経つにつれて最初の熱も冷めつつあった。それでも二回見るつもりでMOTパスポートを購入していたので半ば義務的に足を運んだのだが、あにはからんや、二度目の鑑賞は初回とはまた違った印象で、むしろ今回のほうが感動は大きかったかもしれない。

以下は二回目の鑑賞で抱いた感想&新たに気付いたことのメモである。

・初回の鑑賞では、長年画集でしか見ることができなかった初期のタブロー作品を実見できることにもっとも感動したのだが、今回はむしろ近年の作品に目を引かれた。他の観客の様子を見ても、会場でもっとも人が蝟集しているのは目玉となるべき70年代のダブル・ポートレートのペインティングではなく、iPadドローイングの動画展示である。ダブル・ポートレートの部屋では往時のペインティング三点に加えて2022年制作のフォトグラフィック・ドローイングの作品が展示されていて、初回の鑑賞時はせっかくならこれの代わりに昔の作品をもう一点追加で見たかったとか思ったりもしたのだが、今回はこのフォトグラフィック・ドローイングの面白さ(と展示内での効果的な使われ方)に唸らされた。観客の人気(人の集り具合)も70年代のペインティングよりもむしろこの新作のフォトグラフィック・ドローイングのほうにあるように見えた。これはとても健全なことだと思う。それはホックニーが常に「時代の視覚」と向き合ってきたことの証でもあるだろう。60年代、70年代の作品に見る画風や技法は、当時の目には新鮮に映ったことが想像される。そうした時代ごとに特有の「新しさ」の要素はややもすると今では古色を帯びて見えるかもしれないが、しかし普遍的な要素に加え、時代ごとに見え方が変わる部分の両面を持つことがホックニーの作品の信頼できるところであり、面白さなのだと思う。

・フォトグラフィック・ドローイングは薄めのボードに貼られ、壁から少し浮かせるように展示することによって厚みを演出している。このことが「絵画」の物質感を生み出している。ただ近寄ってよーく見ないと気付かないレベルだが、大きな画面を作るために組み合わされたプリントの接続部の微妙な継ぎ目はちょっと気になるかもしれない。技術的に可能ならば作者はこれはなくしたいと思っていることだろう。今回展示されている二作品の選択は展示のなかでとても良い効果を上げていると思った。

・1983年制作のフォト・コラージュはプリントの退色が目立つ。ペインティングもキャンバス地が露出しているものなどには経年の痕跡が見い出されるし、その意味では版画が一番劣化が少ないのかな。デジタル画のプリントアウトは後の時代にはどんな感じに見えるのだろう。

・50枚のキャンバスを組み合わせた巨大油彩画《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》は、近くで見るとかなりラフなタッチなのだが、離れて遠くから見ると紛れもない「ホックニーの絵」に見えるところが面白い。引きで見る場合は椅子が置いてある地点では少し近すぎで、壁際ぎりぎりまで下がって見るくらいがベスト・ポジションだった。この距離による見え方の違いが本作の鑑賞ポイントかもしれない。

・《ノルマンディーの12か月》は二回目の今回も(というか初回以上に)駄作に感じられた。2020〜21年制作の本作は10年前に制作された《春の到来、イースト・ヨークシャー、ウォルドゲート 2011年》のiPadドローイングと比べて描画のタッチがラフな方向へと変化しているのだが、原因はそれではなく、前回の記事で書いた通り絵巻状のフォーマットに問題があることは間違いないだろう。それは同じ展示室の《家の辺り》(2019)×二点が同じように見映えがしないことからも明らかである。同作は手書きのスケッチを横長のパネルにインクジェットプリントで拡大出力しているのだが、《ノルマンディーの12か月》と同様に思うような効果を上げられていない。思うにこれらの作品でホックニーが意図しているものを実現するためには現在は未だ開発されていない出力用テクノロジーが必要となるのではないだろうか(たとえばこの長大サイズをカバーできるペーパー状の動画モニターとか)。

・ホックニーのデジタル・ドローイングは生成AIが得意そうな画風にも見える。先に「時代の視覚」について触れたが、AI技術の発達によってここ数年で人類史上でも稀に見る大きな「時代の視覚」の変化が起きるかもしれない。それに併せてホックニーの作品の見え方も大きく変わってくるだろうが、それもまた楽しみである。

・今回の展覧会は限られた作品を最大限に活用して効果を上げている巧みな構成だった。最後の展示室が良くないのは作品本体に由来する問題で、インスタレーションを工夫しても根本的な解決は望めないかもしれない。画材に関してはどんなものもアクロバティックに使いこなすホックニーも「絵画」のフォーマットからだけは逃れられないという事実はあらためて興味深かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?