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#66自殺しようとした日。左手首にカッターナイフを始めてあてた日。自分の脈に教えて貰った、身体はどんな絶望の淵でも生きようとしている事を知った。今が辛い人に届け!身体の不思議・・(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)毎日note更新中

大学院の同級生と久しぶりに会いました。経営者3人と4月から無職な私(笑)このギャップですが、刺激を貰いました。思考が”仕掛けに行く”発想ですので、おぉそういうことがあるのか・・と色々考えさせられました。

今日は私が一度死にたいと思った日を・・・(このような話が苦手な方はちょっと見ない方が良いかもしれません)
ただ、結論私は死ねなかったから今があります。

土曜日の昼間、手首にカッターナイフの刃をあてた

私は本当に学校が嫌いでした。そして、家も嫌いでした。
学校では休み時間は保健室に行くようになっていた高学年。
願いは早く大人にしてください。神様が大人にしてくれない現実で「神様はいない」という結論に辿り着きつつありました。

物質的な居場所はあっても、心の居場所がなかったのです。
自分という存在の無価値感で、目立たないように望まないように生きてた。
そんな気持ちはこちら

母はパチンコと借金に追われている。
近所はヤクザや意地悪な大人が多い。
学校は理解できない勉強と、骨粗しょう症のような人との友達ごっこの関係。

母がくれたお金でマンガを沢山読み漁って、その中に自分の居場所を作って想像して、自分の目の前にある世界から現実逃避していたわけです。
現実逃避していたことはこちら

私は誰かに操作されているキャラクターに違いない

そう考えないと自分の状況に納得が出来なかったのです。

ゲームをプレイしたことがある人は想像してみて下さい。
キャラクターにもし意識があったら、どうしてこんな事をさせられるのか?と思うと思いませんか?

スーパーマリオというゲームがありますが、マリオはピーチ姫を探しに行くけど、ピーチ姫を救うためとはいえ、クッパ(最終のボス)の元に行くまでに何度GAME OVER と出るのか・・・。
一度も死なずにクリアできることは殆どありません。

死ぬためにゲームさせられているようにしか思えない(笑)

土曜日の昼間、吉本新喜劇を見終わった後何となく空しくなった私。

(あーーーーーもう嫌やなぁ。。こんな毎日)

モノが散乱して埋まっている部屋の床に、図画工作の授業で使っていたカッターがあるのに気づきました。



(手首をカッターで切ったら、死ぬのかな?)

純粋な疑問が生まれました。

テレビで自死(自殺とは今は言わないようです)は、首吊りか手首を風呂場で切るか、薬かのケースが多かったのです。

我が家は風呂はあるけど入れないから、埃の空間になっているので風呂場にはいきません。このまま切ったら死ねる???そう思って、黄色のカッターを手に取り徐に刃を出します。

カチカチカチ・・・

刃先が持ち手から、三角形の先端を見せます。さらに出します。

カチカチ・・

刃先が5cm程出ると、手首に当てた時に力加減で刃先がしなることを知ります。

(これじゃ切れないわ)

刃先を少し戻し・・・2cm程にして、手首の動脈を横に先端でなでます。


血は出ません。理由は力を入れていないからです。
血が出るかもしれないことが妙に怖いのです。

1度刃が皮膚を擦った跡には、白い線が出来ました。


(もう一度力を入れてやってみるか・・・)

刃を手首に当てる。

その時

刃先を通じて自分の脈を感じました。

トクッ

トクッ

トクッ

死にたいと思っているのに、脈は心情と裏腹に鼓動を今も鳴らしている。

あぁ・・・・生きているんだなぁ。私(笑)

無意識にも生きていることを妙に感動して、血を流すことも怖かった私はカッターの刃を仕舞って漫画を読むのでした。

自分を殺すのは怖い。その時に感じた私のありのままの心境です。

手首に沢山の傷を持つ友人や自死を選択し今亡き友人もいるのですが、
本人が絶望的な心境であっても、身体はいつも生きようとしている。

脈の鼓動に気づかされた土曜日の昼間。
あの日以来私は自分を殺すことをしようと思った日はありません。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。
節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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