とおくのまち 23 性同一性障害 治す

2001年 秋
大阪市内の比較的大きい総合病院へ診てもらいに行く。
「女性ホルモン」の薬を希望したのに、
精神安定剤のようなものを処方された。
まったく納得がいかない。
まだ、ジェンダークリニックなど全国に数か所しかない時代だった。
やっぱり、ふつうの病院じゃだめだった。
 
翌月、
この前の病院で薦められた「心の相談所」へ。
いろいろと話を聞いてもらって少し楽になったような気はしたけれど、
気休めでしかなく、目標には少しも近づかない。
結局、根本的な解決にはなっていないと気付くとまた落胆させられた。
 
私は、とにかく「薬」がほしかった。
精神安定剤のことではない。「女性ホルモン」のことである。
 
一刻でも早く、自分の望みとはかけ離れて男性らしく成長していくこの身体を止めて、自分の思い描くそうあるべき姿の身体に向かうようにしたかった。
 
日に日にのぞまない姿になっていくこの呪いのようなものから救ってほしい、それが叶うなら、仮にその薬が毒薬だったとしてもかまわないとまで思った。
 
翌年 春、
大学病院へ電話で連絡。母が同行して初診。
母親の手前もあり、中性的なファッションだったとはいえ男性の服装で行った。どちらの性別の服を着て行っても診察結果には影響はないとは思うけれど。スタートから出遅れている気分で苦痛だった。
早朝に出発したとはいえ初めての場所であり、遠かったせいもあり、
予約時間に遅れてしまう。
GIDが初診のときに書かされる問診表というかアンケートのリストのような用紙もほとんど時間がなく、簡単にしか書けなかった。
診察は丁寧で一時間以上かかったかなぁ。いろんなことを聞かれた。
今後、半年から一年くらいの長い時間をかけて検査をしていくという
ことになった。
気持ちの焦っていた私にとっては、とても気が遠くなるような話ではある。
ふたりとも、気分をとりなおして駅で昼御飯を食べながら少し話す。
母と私では、「治る」という意味合いが食い違っているということに気付いた。
母は通院すれば私が「女性として」生きていきたいという気持ちがなくなることを「治る」ことととらえていたのだ。
私は、一致していない「性別」を一致させるか近づけていくことを「治る」
としていた。
 
初診から一ヶ月以上も待たされた。
むなしく時だけが流れていくようでつらかった。
 
初夏、もうすぐ夏。時間ばかりが過ぎた。
検査の日が来る、今回の担当は女医さんだった。

そして、検査の結果を聞きに行く日。
どんな服装で行くかいつも迷っていた。
しかし、これ以上、男性の格好で行くつもりはなかった。
できるだけ、本当の自分を見てもらったほうがいいし。

ふつうの格好とは何かと改めて考えさせられた。
レディスのTシャツとジーンズに、足元は素足にミュール(踵に紐のないサンダル)。
かなり中性的な格好だったと思う。

翌月、通院するのにもう少し、女らしい格好にすることにした。
女性になりたいと言って通院しているのだから、いっそうのこと女性の恰好で行こうと思った。
いつも女装ルームなどで使っているロングのウィッグに、きれいな色のアンサンブル、白のスカート。
日傘も持っていくことにした。
診断には関係ないだろうけれど、自分の気分が上がったから。
 
また翌月。
染色体の検査。大げさな検査名だけど、どうやら、血を採って調べるようだ。採血室へ向かうことになるが、精神科以外の部署へ行くのははじめてだった。
 
その次の通院。
前回の染色体の検査は、まったく異常なし。体は、れっきとした男性のようだ。まあ、しかたないね。

ようやく 性同一性障害の診断が出た。ちょうど、初診から半年くらいである。
やっとというか、ようやく、もらったという感じ。ゴールではない。
ここからが、ほんとうのスタートなのかもしれない。

 
夏のおわり、全国GID(性同一性障害)連絡会へ参加してみた。
梅田のホテルのフロアを貸し切って開催されたGID全国連絡会の集会に参加した。雑誌や新聞、テレビにもニュースでとりあげられた有名な方たちと会った。

とにかく情報がほしかった。
ここでは、当事者たちの生の声が聞けた。
そして、同志たちの存在に心強くもあり、また、不安や劣等感も感じた。
この会議に主催者側のゲスト的な立場として参加していたひとは、
ネットでも有名な人たち。
かつて女装ルームでいっしょだった人も、すでにSRSをすませていた。
私は未だに男性の身体のままだ。
おいてけぼりをくらったような寂しさもあった。
彼女たちは、こうして女の子になっているのに、自分はまだ、夢を叶えられず、灰色の妖怪のままだ。美しい赤やかわいらしい桃色の愛でられるべき存在ではない。
さびしくて、かなしかった。そう成れないのなら、いっそう消滅してしまいたかった。
これを機に、K大医学部で診てもらっていたのをO医大へ移った。
K大で、診断書はもらったものの、次の第二段階(ホルモン療法)は
そこでは実施していなかったということもあった。
第一段階 精神療法 → 第二段階 ホルモン療法 → 第三段階 SRS (性別再判定手術 )という順番に治療が行われる。それと並行して、リアルライフテストというものを実施する。これは、リアルライフエクスペリエンスともいわれ、実際に望みの性別として生活を体験してみるということ。テストという名前だけれど、運転免許や大学受験のような資格試練のようなものがあるわけではなく、実際にやってみて、自分自身がやっていけそうかどうか試してみるというくらいの意味合いだと思う。
 

 
 

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