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唇をかみしめて by 阪口 誠

 23時をすぎてこの街の夜もいよいよ深みを増してゆく。ほんの数ヶ月前までは閑散としていた通りも、時節柄も相まって賑わいを取り戻したかのような様相。

 みんな、新型のヴァイラスのことなどすっかり忘れてしまったかのようだ。

 もうすっかり日常の中に溶け込んでしまっている感もあるので、大して気にも留めない、そうなってしまうのも致し方あるまい。

 かく言う自分も、さほど気にはしなくなってきている。良い喩えではないが、収監された知人に面会する時のような、(あるいは収監されているのは自分かも?)そこに当たり前にある透明な板、なにか施設に入る際の検温も、もはや伝統的な風習のようだ。

 良くも悪くも人は慣れてゆく。

 経験則からくる「ここはこうだから、こうなるだろう(はず)」という予想も慣れがゆえ。しかしそのある種の油断こそが思わぬ落とし穴になることもしばしば。初心忘れべからずというのはそういうことなんだろう。きっと。

 海を渡った日本人スポーツ選手の活躍もめざましい。シーズン中は毎日のように彼らの活躍ぶりを知らされるが、投手と打者の二刀流としてすっかり日米両国で認知されている大谷翔平選手にしても、はじめは日本での実績という“慣れ”はさしおいて、まさに初心に返っていただろう。


 だいたい、みんな期待しすぎだ。なにもスポーツ選手に限ったことじゃない。

「(やってくれてると思ってたのに)なんでやってくれてないんですか?!」

 時おり、いや、ほとんどいつも自分の思ったとおりになっていないことを同僚は(職歴でいうと少しだけ先輩というのが厄介だ。立場上ではこっちが上だというのに)よく詰め寄ってくる。

 一種の依存。期待しすぎ。頼りすぎ。

 こっちはその時自分がなさなければならないことはちゃんとやり遂げているのに。

 あなたはオレがレスキューを頼んだ時、どれだけ助けてくれたというんだ?
 そういう時はほぼスルーして、頼んでもいない時にしゃしゃり出て、そしてそれを恩着せがましく後々いってくる。

 なんなんだ?

 人間関係。相手があることは難しい。世の中の仕事もすべて最後は相手がいる。物づくりでも最終的にはそれを手にする人がいる。


 誰かが誰かを想う時。必ずしもその想いに相手が応えてくれるとはかぎらない。

 それでも誰かを想う時。その想いをあきらめられなくて。

 だって人間だから。
 簡単にはキライになれなくてね。

 だからいつも大切な人たちを想う。


 みんな、元気か?
 辛い時にはいつでも連絡して。
 それぞれの現在(いま)が笑顔でいられますように。

 この街の夜に祈りを込めて。

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