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悪いハビット。 by 吉田真澄

 年末年始のテレビは長時間の特番スペシャルばかりでつまらない。それでも紅白歌合戦の時間になると1にチャンネルを合わせてしまうのが理絵の常だ。他に見たい番組がないから仕方ない。
 今年最後の日だからと、理絵は普段より少し高い二千円台のワインの栓を抜く。そして値下げシールの貼られたいくつかの総菜を皿に盛り付けた。一人でいる時は即食優先と、いつもならパックのまま食卓に置くのだが、年末だし、と体裁を整えた。
 歌合戦の前半戦が中盤になっていた。
 SEKAI NO OWARI『Habit(ハビット)』の演奏が始まった。セカオワ深瀬、好きだなあ。あの声と左右離れ気味の眼球。ラップの早口言葉とダンサーとの楽しい踊り。理絵は画面に見入った。
 ハビット。習慣、癖。動物の習性。
 私のハビットはなんだろう。起きたら歯磨きして洗顔、朝食はパンとコーヒー。これが毎日の習慣。今こうして考える時に腕組みをするのは癖? 特記する気の利いた事柄が出てこないなあ、と理絵は思った。
 音楽に合わせ上半身を揺らしスマホをいじっている拓也の前に、理絵はワインと総菜セットを置いた。
 ねえあんたの……ビットって……? スマホゲームに夢中で、……の部分が聞こえなかったのか、来年はうさぎ年、と拓也は頭の上に片手で耳を作った。それはラビットだろが。だからそうじゃなくて。ハビットは何か聞いたのに。ああ、もういいや、と理絵はグラスに注いだワインを飲んだ。  
 年が明ければ24の年男になる3つ違いの弟はいつもこうなのだ。人の話をよく聞かないのが拓也の悪いハビットだ。

 そろそろ時間だから行くよ、と待ち合わせ場所に近いからと理絵の部屋で時間を潰していた拓也が腰を上げた。彼女と初詣に行くついでに厄払い祈願もしてくるという。それ一緒でいいのかと思ったけれど本人がそうしたいならそれでいい。理絵はあえて突っ込むのを止めた。
 悟朗さんと仲直りしないのかよ、と靴を履きながら拓也が言った言葉をスルーし、人出が多くなりそうだからちゃんとマスクするのよ、と理絵は拓也を送り出した。
 悟朗というのは半同棲中らしき付き合いの理絵の彼のことだ。
 拓也が余計なことを言うから思い出したじゃないか。悪いハビットのせいで、今こうして寂しい年の瀬を迎えることになったのを。

 事の発端は昨日、理絵が洗濯したセーターを悟朗が着た時だった。
「おしゃれ着洗いしなかったの?」
 悟朗は着心地悪そうに、ピチピチと体に張り付いたセーターを引っ張った。
「いいじゃん、超人ハルクみたいでカワイイよ」
 理絵は、しまったと思ったが、縮んで寸足らずになったセーターを着た悟朗をからかった。でもそれは悟朗のたくましい筋肉を際立たせていた。
「お気に入りだったのに……」
 ウール物は普通に洗濯しないでっていつも言ってるのに、と悟朗は不満そうにつぶやいた。
「だって悟朗が洗濯機に入れてあるから」
 理絵は自分の非を認めず悟朗に責任を擦り付ける。本当は素直に謝れない自分に嫌悪を感じ後ろめたい気持ちになっているのに、悪いハビットが邪魔をしている。
「理絵はいつだってそう。なんかチョツト疲れたよ」
 今日の悟朗は虫の居所が悪いのか、これまでの理絵に対する不満が爆発したのか、兎に角いつものように笑って許してはくれなかった。頭を冷やしてくる、と悟朗は自分の家に帰ったままだ。
 悟朗は気に入らないことがあるとカタツムリのようにさっさと殻に閉じこもる。互いの気持ちを会話で解決しない、誰にでもある悪いハビット。カタツムリは殻をつけて産まれてくるという。理絵はこれが悟朗のハビットだと思った。

 あと一時間ほどで来年に変わろうとしている。
 テレビでは後半戦の23曲目、松任谷由実with荒井由実による『Call me Back』が始まった。
 理絵はビーズクッションに体を沈め、怠惰な姿勢でテレビを見ていた。うつらうつらとしていた目に、空飛ぶ車がうつる。SF映画の宣伝かモデルチェンジした新型車のCMかと思ったが、民放じゃないから違うよなと思い直した。それは楽曲用の、大きなスクリーンに映しだされたユーミンの乗る夢の車だった。
 ボーっとした頭で理絵は考えた。あんなタイヤのない車だったら雪道でもスリップしなくていいのに、なんて。
 ステージには松任谷由実が立ち、スクリーンにはかつてのユーミン、荒井由実の画像が流れ、AIを使った荒井由実の声と今のユーミンを融合させていた。過去と未来を行ったり来たりする素晴らしいアイデアで、それを実現する科学力を駆使し、二つの物事を同時に器用に扱っている。すごいなあ。まさに二刀流の技ではないか。理絵はこの不思議な感覚に感動を覚えた。

 理絵は大の時トイレに本を持っていく。今はもう慣れたけど、その光景を初めて見た時ぼくは驚いた。
「トイレで本、読むの? 汚くない?」と言うと「じゃあ服はいいの? 着たまま入ってそのまま出てくるじゃない。本がダメならトイレに行くたびに全裸にならなきゃいけないってこと? それと同じでしょ」と言われて、ぼくは確かにと笑いが出て二の句が継げなかった。
 理絵にはいつも言い負かされることが多いけど、一理あることも少なくない。そんな時間は楽しく、あながち嫌いではないのだ。そりゃあたまにはむかつくこともあるけど。
 このままひとりでいるのもつまらないなあ……。もうちょっと待てば理絵から何かしらの音沙汰があると思うけど、今回は先に折れてやるか。悟朗はスマホを手にした。

 コ~ルミ~バ~ック♪ 理絵の耳に歌詞が忍び寄ってくる。
 さっき理絵のスマホにラインメッセージの着信を告げるサウンドが鳴っていた。そろそろ悟朗に連絡をしてやるか。
 理絵はほったらかしにしていた悟朗からのラインを開く。ごめんでもなく『そばどうする』だって。まったく! 
 それでも理絵の心は弾んでいる。
 カタツムリは水分がないと生きていけない。悟朗も理絵の涙にすり寄ってくる。理絵はその特性を動物的習性で知っているから泣き落としにかかる。と言ってもラインスタンプの、悲しい、のカテゴリーから一つ選ぶだけだけど。
 子供じみてるかもだけど、これで二人の意志は通じている。
 理絵は悟朗の、悟朗は理絵の操縦法を知っている。喧嘩をしても仲直りできるタイミングもツボも押さえている。お互いが自分の方が優位に立っていると思いこませていると思っている。ある意味似たもの同士かも。

 理絵は母から、年越しそばは年またぎで食べるものだと教わっていた。理絵が実家にいた頃は、寝ていても除夜の鐘が鳴る前に全員起こされ、鐘が鳴ると母の用意したそばを食べ始めた。除夜の鐘は大晦日から元旦にかけて深夜0時を挟んでつくから、それに合わせて食べる量と速度を加減した。最後の鐘が鳴ると残っているそばを食べ終え、新年の挨拶をする。理絵の実家ではそんな行事だった。
 日中でも年末ならいつ食べてもいいのだとわかってからも、理絵はやっぱり年越しそばは除夜の鐘が鳴っている間に食べる。良くも悪くも、すっかり身に沁みついてしまった長年の習慣はおいそれとは抜けないものだ。

 歌合戦も終盤になってきた。もうすぐ除夜の鐘が鳴る。
 私たちの戦いもそろそろ終わりにしよう。
 理絵は、フタを半分まではがしたどん兵衛のたぬきと天ぷらのカップそばに熱湯を注いでフタをした。
 悟朗はどうせすぐ来るに決まっている。理絵の住むマンションの部屋の真上に住む悟朗は3分もすれば駆け付けるはずだ。スープの冷めない距離っていうのもいいものだ。
 理絵は悟朗のラインに、さっき選んだスタンプとメッセージを送信した。『年越しそば食べよう』と。

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