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球団ヒストリー37.棄権の危機

2次予選

2011年8月。
鹿児島ホワイトウェーブの選手たちは宮崎ひむかスタジアムでの公式戦に臨んでいた。

第82回都市対抗野球大会への出場を懸けた九州地区2次予選。
初戦の対戦相手は福岡の沖データコンピュータ学院だ。

ここは引っぱるところでもないのであっさり言うと、0-4で敗戦。

都市対抗本戦出場を目指しているとはいえ、このころはまだ週に2~3回の練習。
当時チームを率いていた末廣昭博監督も、そのころを振り返って「勝てないって言っちゃいけないしなぁ」と思っていたそうだから、つまり強くはなかったのだろう。

日程変更に対応できない!?

今回お伝えしたいのは、そこではなくて。

社会人野球というのは、初戦敗退しても敗者復活戦があることも多い。
そうやって1つでも多く試合を経験して、少しずつ強くなっていくんだろう。

1次予選だと出場チームは片手で足りるくらいだが、2次予選ともなると12チーム。それだけ試合数も多い。
初日に敗退したホワイトウェーブは、次の試合までまる2日待つことになった。

それでなくてもギリギリの出場メンバーなのに、調べてみるとおそらく天候不順か何かで1日順延があったようだ。

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日程どおりならば、心もとないながらも確実に試合には臨める人数だったのだろうが、それぞれ仕事を抱える身。
しかも現在のように理解あるスポンサー企業が多かったわけではない。
勤め先からしたら「野球延びたんで明日休みます」なんて言われると、「ちょっと待て、そんなんで休まれたら困る」となるだろう。

マネージャーを筆頭に電話をかけまくり人員確保に奔走したが、どうにも試合をできる人数が集まらない。
末廣監督はやむなく大会本部である九州地区野球連盟に棄権の申し出をしたという。

呼び出し、説教

しかし連盟としても「はい、そうですか」と受け入れるわけにはいかない。
この理由での途中棄権を認めてしまうと、その後の大会も「人数揃わなかったら棄権しまーす」という不確実なエントリーを認めることにもなりかねない。
怪我や病気ならば致し方ない部分があるとはいえ、仕事の都合なんかはそもそも最初からして大会エントリーしなさいよ、ということだ。

末廣元監督はこう語る。

「棄権の申し出をしたら、本部席に呼ばれました。
 そのときは球団代表が来てなくて、私が九州の理事長に叱られ…」

社会人野球という世界を甘く見てもらっちゃ困る、ということだろう。
(おそらくこのときお説教なさった九州理事長は、球団立ち上げのときに「君たちは本当にやるのかね?」とキツい洗礼の言葉を発した故福嶋一雄さん※下記参照)

結局のところ、ふだん練習にも参加できていない選手が急遽来られることになり、おそらく11人の選手が確保できた。またピッチャー竹山がDH解除しバッターボックスに立つことで、試合はなんとか成立した。

在り方への課題

試合は成立したが、結果は散々。
沖縄電力に0-11でコールド負けだった。

末廣監督が「そうまでして選手が来てくれて、本当に嬉しかったですよ」と目を細めていたのは、せめてもの救い。

当時の所属メンバーは30人。
それだけいれば、半分しか出られなくても棄権の心配はないという単純計算は成り立つが、そうならなかったのが事実。

週に2~3回の練習にもあまり人が集まらなかったというし、練習への向き合い方、試合の考え方、チームとしての在り方に、大きく課題を投げかけたできごとだった。

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