YOKO ITO

宇宙の中の、地球の中の、生物の中の、動物の中の、人間、人、である私。今の人生があるのは…

YOKO ITO

宇宙の中の、地球の中の、生物の中の、動物の中の、人間、人、である私。今の人生があるのは、いつも 周りの人や環境に支えられ、助けられてきたから。感謝でしかないと思い、看護の道を活かして『心の相談室』『メンタルセラピー』を。 海、空、雲、樹々や葉っぱの緑、月と太陽の光が大好き。

最近の記事

満月の空気✨

満月の夜、、、 いつもの気持ちのいい空気が さらに浄化されているような、、、 そんな気がして、 ずっと眺めていたくなるから不思議。 月の光は、いつでも澄んでいて本当に綺麗✨ 身も心もすーっと、、、 綺麗に洗われて行く感じ。 どうやっても、 この自然の創り出す美しさには 敵いませんなぁ、、、と 遠くに聴こえる波の音、 夜の虫や、 蛙の声を聴きながら。。。 もう寝なきゃ、、と 月の下からベッドへ行くのが もったいない気持ちになりながら 空の上にいるみんなに 「おやすみなさ

    • 夕焼け

      自然の創り出す色✨ 本当に綺麗。 真っ青な空も大好きだけれど、 夕焼けも感動する。 オレンジや紫、輝く光加減。 どうしたら、 こんなに綺麗な色ができるんだか。 太陽や、空気や雲、色んな自然が 混ざり合ってできる色。 見惚れてしまう。 こんな空の色の移り変わりを眺めていると、 幸せだなぁ、、と本気で思う。 ありがたい環境に生きているな、、と。 すべてに感謝🙏✨✨

      • 嬉しい日✨

        出会いとは、本当に不思議です。 初めてお会いしたのに、 お互い、自分の看護観をあっという間に 2時間、語り合うという。。。 お忙しい方だし、まさか、そんなに お話しできるとは思ってもいなかったから、 びっくり。。。 私なんかより、全然ご経験がある方だとは もちろん心得ていたけれど、 お歳をお聞きして、またびっくり。 なんと、70歳と。。。 穏やかで、でも、芯があり、 看護観を育てることを 大切にされている方だった。 私も、看護させて頂く上で、 もちろん知識や技術は必須。

        • ふ、と思うこと。。。

          ふ、と、、というか、 わりとよく考えること、、なのだが。 私は、人間に生まれてきている。 地球の中に。 人間は、他の生き物より、進化して、 心や倫理観を持っていたり、 知能も高いのかもしれない。 だから、地球上で、色々な開発をして、 今や、地球上を思いの儘にしている。 だけど、、ふ、と、 そう思ってるのも、自分達、人間中心の 思い、、であって、 研究して色々なものを生み出してるのも 人間。 言語も人間が作ったもの。 もしかすると、他の生き物から見たら めちゃくちゃなこ

        満月の空気✨

          小さなことを大きな愛で

          お休みの日、、、 天気が良くて気持ち良かった昨日 いつものように ジャックとお散歩に行った。 緑のいい香りがして、 ふつう、、って最高だな、、、って また思った。 仕事の時は、いつも、この患者さんは どんな風に生きたいんだろう。 望む道はどんななんだろう、、、 どんなケアが最善なのだろう、、、とか、 きっと、この子には何かしらの愛が必要で、 できればご両親からの愛情が不可欠なのだけど、、 それが叶わない場合、 一体、私に何ができるのか、、、 とか考えている。 でも、私は私

          小さなことを大きな愛で

          東條というワンコ

          色々なことがあり過ぎた34歳の頃。 これまた電気がピカン💡とついたみたいな 直感的な出会があった。 どうしよう、とか、大丈夫かな、とか そんな思いは不思議な事に 一つも持たなかった。 ペットショップで待っていてくれたのが 私の頭の中の想像にはまったくいなかった ミニチュアシュナウザーの男の子だった。 (その頃は、里親ってあまりなかったような。私が知らなかっただけかな。。。) 今の夫である彼が、  ワンコに会いにやって来て、 名前はどうしようか、、と、 面白い名前ないかな、

          東條というワンコ

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          写真もnoteに💡

          写真もnoteに💡

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          今日は二人のお誕生日🎂

          今日は、夫のお誕生日だった。 、、、ということは、 私の大好きなMEGUMIちゃん (夫の双子の兄妹)のお誕生日でもある。 彼女は、今日も明日も明後日も、 仕事で世界を飛び回るらしい‼︎ これは、間違いなく、 またまた素晴らしい歳になるに予兆✨ そして、夫も、「サイッコーなお誕生日‼︎」 だったらしい。 MEGUMIちゃんと一緒に聞いたの合わせて 同じ話を、、多分、、 30回くらい聞くことになったが、、、 何を隠そう、 私にもイイコトがあった 気持ちになった。 ありが

          今日は二人のお誕生日🎂

          100歳の方への医療って。

          ある時、 施設に入っておられたという、 100歳の患者さんが 入院していらしたことがあった。 それまで、きっと多くの幸せがあり、幾つもの困難も乗り越えていらしたに違いない。 身体を自身で動かすことには、お手伝いが必要だけど、 いつも読んでいたという本をお渡しすると、 ページを捲ることはできなくても、 声に出して読むことができ、薬袋の文字までも読み上げることができる。 だけど、どうにも、お食事とお薬を飲む事を 拒まれる。。。ご自身の思いからの拒絶なのか、認知機能の問題なのか、

          100歳の方への医療って。

          倚りかからず

          いつだったか、もう忘れてしまったけど、 「信じるものは神様ではなく自分の心と感性」と思いついた日に、本屋さんで出会った本。 神様すみません🙏 いつもいつも周りの方々に支えられ助けられて生きているありがたい日々。 しかし、人に寄りかかりすぎることなく、 自分の毎日や人生は自分で選択して、 間違えた⁈という時があったとしても、 決して人のせいではなく、 自分で決めた道であり、 自分で自分のお尻を拭いて、 また自分で道を開き前に進むこと‼︎ と心に誓った。 母にもよく言われてた

          倚りかからず

          大好きなMEGUMIちゃんへ

          今日は、note7回目記念日。 大好きなMEGUMIちゃんについて書こうと思う。 私の夫の双子の兄妹。 中学が一緒だった。だから、夫含めて、私達3人は中学の同級生。 今では家族であるその双子の兄妹は、 2人とも中学生の時から、とても洗練された雰囲気があり、みんなから憧れられていたと思う。 とくに、MEGUMIちゃん。。。私は、中2の時、ラブレター💌を書いて、渡したっけ。その時のことを私は今でも覚えてる笑 学校の中の階段でのすれ違い。 「MEGUMIちゃん!私、MEGUMIち

          大好きなMEGUMIちゃんへ

          死生観を考える事になるきっかけ

          またもや、昔話。。。 だけど、これらの経験を学びとさせて頂いた ことが、今の私に繋がっていると思うから、 noteに書きたくなる。。。 まだ看護学生の実習中。私の受け持つ大好きな患者さんが目の前で亡くなられた。 その時の私の父と同じ歳だった。 亡くなる直前、ベッドサイドから、私は患者さんのお名前を呼んだ。 医師も諦めかけていたその時、患者さんが私の方を向いてくれたんだ。まだまだ全然未熟な私は、今、亡くなろうとしている、頑張り切ったその患者さんに「頑張ってください‼︎」なんて

          死生観を考える事になるきっかけ

          多分、人生の転機の一つ。。。

          初めてのnoteに書いてみた内容だが、 私の母は、私が手術室看護師3年目の時に術後脳梗塞になった。 とにかく、目を開けることもなく、言葉のない母の手を握って毎日毎日泣いていたわけだが。 そんなある日、多分、それは、私のその後の 人生を明るい方向へ導いてくれた、、、 転機がやってきた。 いつものように、仕事が終わって、母の入院している病棟へ上がって、母のベッドの横に座り、涙が溢れて、疲れて眠って。。。 多分、トイレに行った時だったと思う。 当時のその病棟の主任さんが、私

          多分、人生の転機の一つ。。。

          気づけば、看護師30年⁈

           手術室に合計15年、病棟では、大学病院以外での8年間を合わせて、16年目になる。改めて計算してみると、おっちょこちょいな私が、よくやってるな、、と、自分でもびっくりする。そして、それには、いつもいつも周りの方々に助けられてきているから、、、続けてこられているのだと感謝でしかない。 たくさんの出会いのなかで、色々な経験をさせて頂き、多くを学ばせて頂いたと思う。  看護学生の時に手術室実習で、大きな手術に携わらせて頂き、術野に集中する医師や麻酔科医の真剣な姿と看護師の動きを

          気づけば、看護師30年⁈

          徐に。。。

          noteを始めてみた。 自己紹介もせずに、、、徐に。 いつか書いてみたいと思っていたことが書けて嬉しい。                   気持ちいい太陽の下でも書けて楽しい。

          徐に。。。

          思い出#1 私、看護婦さんになる‼︎

           今となっては、全然関係ないのだが、私の母は、華道と茶道の師範だった。お弟子さんがいたり、色々なところの花展に出展していたり、お正月のお花の生け込みに行ったり、お茶会に出向いたりしていた。こう言うと大分優雅に聞こえるが、普通のサラリーマン家庭だった。 そんな普通な家庭の中で、家事をして、祖父母のことも見ながら、我が道をも進んでいる、 そんな母が大好きだった。  私は、子供心に「私も母のように手に職を付けたいな」と思うようになっていた。 そんな時、高校1年の終わりかな?友達の

          思い出#1 私、看護婦さんになる‼︎