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100歳の方への医療って。

ある時、
施設に入っておられたという、
100歳の患者さんが
入院していらしたことがあった。

それまで、きっと多くの幸せがあり、幾つもの困難も乗り越えていらしたに違いない。
身体を自身で動かすことには、お手伝いが必要だけど、
いつも読んでいたという本をお渡しすると、
ページを捲ることはできなくても、
声に出して読むことができ、薬袋の文字までも読み上げることができる。
だけど、どうにも、お食事とお薬を飲む事を 拒まれる。。。ご自身の思いからの拒絶なのか、認知機能の問題なのか、、
ご本人に「何故食べたくないのか」尋ねても
とにかく首を横に振り答えてはくださらない。

ここは病院だから、点滴をして、お鼻からチューブを入れ、栄養剤の投与と投薬が行われる。
チューブをご自分で抜いてしまわれるため、
手にはミトンをさせて頂く。

医師と、これが、本当に100歳の彼女が望むことだろうか⁈とカンファレンス。
少しの好きな食べ物と、大切な薬1錠だけでも飲めればよいのではないか、、、と。

そこで、ご家族である息子さんに、お母様が好きだった食べ物を持ってきて頂き、
ご家族である息子さんは、お母様の今の状況について、どうお考えになるかお聞きすることに。

息子さんが持参された美味しそうな煮物。。。それでも、口に手を当て、「食べない、いらない。」と拒まれる。
理由を聞いても、お話はしてはくれない。。。

息子さんに尋ねてみた。
「お母様は、100歳まで頑張って生きてこられた。今、治療のために入院されていることは確かだが、強く拒否されるお鼻のチューブを入れることや、そのためにミトンを付けることをお望みだろうか。」と。

息子さんは、
「ここに入院すれば、食べられなくても、鼻からチューブを入れて、栄養剤を入れ、薬も入れられると聞いたし、施設に戻れなければ、転院できると聞いた。そのためには縛られることも仕方がないと思う。」さらりとお答えになった。

そのお答えにより、
その100歳の患者さんは、拒まれる中、もう一度、お鼻からチューブを入れ、手にはミトンを着けることとなった。

確かにここは、急性期病院。。。
しかし、私も医師も
「もし、自分だったら、それを望むだろうか、その状況でも長生きしたいだろうか⁈」と
肩を落とした。
これは、医療者の偽善なのだろうか?

どちらにしても、お口から食べられなければ、施設には戻ることはできない。療養病院へ転院するとなるだろう。
どちらにしても、馴染んだ自分の家に帰るわけでも、家族と一緒にいられるわけではない。
もちろん、家に帰したくても帰せない事情があることは、私も経験上よくわかる。

色々な価値観、人生観があると思うし、
もしかすると、
多くの場合、『生かす』ということが
『最善』と考えるのかも知れない。
または、『治療を継続すること』を選択しなければ、『罪悪』『非人道的』のような
気持ちになるのかも知れない。

もちろん、本当に最後まで『治療という形』を
望み、戦って行く方だって、おられて当然。
そのために急性期医療があるわけで。。。

『advance care planning(ACP)』
、、、『人生会議』の必要性、、、

『その人が望む自然な形』
『本人が本当に望む治療やケアとは』
そのことについて、
家族で日常から話しをすることは
本当に大切なことだと常々思う。
それと同時に、私達、医療者も、少しずつ
患者さんや、ご家族と一緒に
『治療だけがすべてではないこと』も
話をしていく必要があるのだろうとも思う。




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