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【4】シンデレラみたいには、なれない(スピと生きづらさとトラウマとフェミニズムの物語)

ハナコは、それからも自助グループに通いました。
ある日の座学で、ハナコはフェミニズムについて学びました。
それまでハナコは、フェミニストというと、
お化粧やおしゃれをせず、小さなことに目くじらを立ててはいつも怒っている男性嫌いの女性たちのことだと思っていましたが、実際は全く違いました。
フェミニズムは、女らしさ、男らしさの型に人を押し込めず、すべての人がありのままで生きられる社会の実現を目指すものでした。

ハナコは、自分がこれまで「女性」というものに対して、つまり自分自身に対して、過度に大きな期待をかけ、たくさんの役割を押し付けてきたことに気づきました。

いつも綺麗で、素直で、機嫌よく。
すべすべの肌、つやつやの髪。
優しくて、穏やかで、甲斐甲斐しく他者のケアをする。
最近ではそれだけではダメで、男性と同等に社会で活躍することも必須。

これらは、ハナコ個人が自らの意思で「こうなりたい」と願った女性像ではありません。
社会があらかじめ作っていた、あるべき女性像に、ハナコは自分自身を押し込めようとしていました。
そして、そこからはみ出る部分があれば取り除き、
足りない部分があればつけ足そうとしていました。
そしてこの女性像には、男性の希望や理想が大いに反映されていることに気づいたのです。

ハナコは長い間、自分を愛せないことで悩んでいました。
それは自分の努力不足で、「セルフラブ」の取り組みが足りず「自愛力」が低いからだと思っていましたが、そうではありませんでした。
そもそも、女性が、自分を認め、愛するために超えなくてはならない、とても高いハードルがいくつも置かれていたのです。

そして同じように、男性にも、「あるべき男性像」に縛られて苦しんでいる人がいると学びました。
女性と男性、どちらがよりつらいかで言い争うのではなく、
一緒になって、「女は/男はこうあるべき」という理想像と、
それをより強固にしている慣習や法制度を変えていく必要があるのだと知りました。
実際、もう誰も名前も顔も覚えていないようなおじいちゃん達だけで作った決まりごとが、今もたくさん残っています。

フェミニズムを理解し、自分の言葉で語るのは、とても難しいとハナコは感じました。
自助グループの女性たちの中にも、フェミニズムに抵抗を示す人はいました。「女性らしさ」を剥奪されると思っていたり、
実際に、男性にすべてを任せて、自分は守られる立場でいることを心地よく思ったりする人もいましたし、中には、自分がそういう立場にいられるということ自体を、「女性としての勝ち組」だと誇りに感じている人もいました。

次の自助グループに、またもや驚くべき人が参加しました。
なんと、シンデレラ本人です。彼女は、きちんとしたドレスを纏い、きれいにお化粧をして、長い髪を美しくカールした姿で現れました。
彼女が何を語るのか、みんな固唾を飲んで見守りました。
シンデレラの話は、つまりこういうことでした。
最近、一部の人たちから、シンデレラは、自分の力で人生を切り開かず、男性に救ってもらうことを選んだ主体性のない女性だとか、
「女らしさ」という古いジェンダー観を助長する悪いお手本だと思われていることに、心を痛め、自分を見失いそうになっている、というのです。

自助グループでは、誰かにアドバイスをしたりすることはありません。
ですが、司会者と、話をした本人の許可があれば、他の人が発言をしても良いことになっていました。シンデレラが話を終えると、その日も参加していた姉のドリゼッタが手を挙げ、許可をもらうと、震える声で、けれどはっきりと言いました。

「私は覚えています。あの日、あの夜、あなたは、そもそも王子様に選んでもらうために出かけたんじゃない。あなたはただ、舞踏会に行きたがっていました。
好きな服を着て、好きな場所に行き、好きなように踊る。
そしてたまたま男性と出会い、恋をした。
おしゃれをして舞踏会に行き異性と恋に落ちるのは、 "女性らしい" ことでしょうか?あなたが生来持っている優しさや忍耐深さは、"女性らしい" ことでしょうか?
あなたは、女らしくあろうとしていたんじゃない。あなたは、あなたらしく生きたいと願っていただけ。あなたは何も悪くありません。私はそれを知っています」

ドリゼッタの言葉に、シンデレラは胸を打たれたような表情になり、少しの間目をつむり、そして微笑みました。
その光景を見て、ハナコも、他の参加者たちも、しばらく何も言えませんでした。ドリゼッタの言う通りだと思ったのです。

ドリゼッタとシンデレラが、その後仲直りをしたのかどうか、ハナコにはわかりません。
それでも、けれど、彼女たちがまったく新しい姉妹の絆を築いていればいいな、と思いました。

シンデレラとドリゼッタのやりとりを聞いて、ハナコは改めてフェミニズムの奥深さを知りました。
どんな意見に対しても、「正しい答え」は出せません。
それでもハナコは、フェミニズムが好きだと思いました。
こんなにも社会のあり方のことを考えるのは、はじめてでした。

というのも、ハナコはこれまでつらいことや苦しいことがあっても、
「自分の思考や感情が原因」「潜在意識のブロックのせい」だと考え、
自分を矯正したり、”浄化”したりすることしか考えていませんでした。
社会に問題があると考え、それについて頭を悩ませることは、
「常にいい気分でいる」という大原則から外れるので、悪いことを引き寄せてしまうと思っていたのです。
それに、ハナコの住む村は、「自己責任」という考えが強くはびこっていましたから、ハナコはとにかく原因を自分の中だけに探し、(責めてはいけないと思いつつ)自分を責めてばかりいました。


フェミニズムを学び、自分の生きづらさの一因は、
自分の「外」——つまり、社会のあり方やジェンダー観にあるのかもしれないと気づき、ハナコの気持ちは楽になりました。
そう考えると、選挙で欠かさず投票したり、
ジェンダー関連の署名やイベントに参加したりするなど、「スピリチュアル」や「自己啓発」以外にも、自分と世界を癒す方法はたくさんあったからです。


続く


お読みいただき、ありがとうございました。わたしという大地で収穫した「ことばや絵」というヘンテコな農産物🍎🍏をこれからも出荷していきます。サポートという形で貿易をしてくれる方がいれば、とても嬉しいです。