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「早く結婚しそうランキング」1位の今

 

 学生の頃、よく言われてきた言葉がある。

 「早くに結婚しそう」 「いいお嫁さんになりそう」

 所属していたサークルでは年に数回部内誌を発刊していた。その中にサークルメンバーのイメージをランキング化したコーナーがあり、私はその中の「早く結婚しそうな人」ランキングでもずっと1位だった。

 勿論というかだいぶお世辞もあると思うが、この言葉を言われることはなんだか誇らしかった。結婚しても幸せになれそうなビジョンが周囲の友人に見えているのだと思うと安心できたからだ。

 けれど現実は全く違っていた。

 わたしが長年付き合った彼氏と別れた頃、恋愛に疎かったはずの友人が学生結婚した。同期では一番の結婚報告だった。あまりの衝撃で同窓会は彼女の話題でもちきりだった。友人たちに囲まれた彼女が幸せそうに、旦那さんや産まれた子どものことを話す表情はわたしが知っている彼女ではなかったような気がした。

 話を聞きながらわたしの視線の先には、その友人の小さくて薄い指先が見えた。結婚指輪をしたそのか細い手で、生まれたてのか弱いいのちを、母親として守っているんだと思うと、その時、わたしには到底できないことを彼女は日々やっているんだと悟った。ただただ尊敬するばかりだった。

 

 それから早数年。今現在のわたしといえば、うつの治療中であり、積極的に交流も持っていないので彼氏もいない。「早く結婚しそうランキング」は大ハズレになってしまった。この体たらくで面目ない。

 しかし病むほどに気にしているわけでもない。むしろ今はあのまま元カレと結婚しなくてよかったと思っている。強がりに聞こえるかもしれないが、あの状態のわたしと結婚しても、彼は幸せになれなかったんじゃないかと思う。

 もし大学を卒業してすぐに結婚、ということになっていれば、生まれてきた子どもに、母やそのまた母がしてきたような支配と被支配の共依存教育をしていたはず。親子関係の問題に無自覚なら、自分の子どもにも親にされた教育をするのは当然だからだ。


 先日のカウンセリングでは「今やっている作業は貴女のためだけじゃなく、貴女が結婚して生まれるかもしれない子どものためにもなるんだよ」と言っていただき涙腺が崩壊した。

 たくさんの人に迷惑と心配をかけ、ここ数年で失ったものは計り知れない。でも、息苦しくて早く消えてしまいたいといつも考えていた日々から、残りのいのちをどう使っていこうか、と考えられるまでに引き上げていただけたことは自分にとっては人生に関わる大きな気づきだった。


 今わたしにできることは自立のために毎日できることを少しずつ積み上げていくこと、自分と向き合い続けること。特に迷惑をかけている両親には必ず恩返しと親孝行をすると心に決めつつ、日々頑張っている。

 傍から見れば蟻のような歩みかもしれないが、わたしは一生懸命生きている。夢のような結婚生活が来るのか、来ないのかは神のみぞ知るところだけれど、わたしがわたしらしく生きる先にもし結婚があるのならそれは幸せなことなんじゃないかと思う。まあ彼氏いないんですけども笑


 自分の人生を歩きながらゆっくり考えていきたいと思う。


 ここまで読んでくださりありがとうございました。

 


 

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