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「楽しいから」はサッカーをはじめた理由になるのか?

「なんでサッカーをやろうと思ったん?」

知り合いと食事をしていたとき、昔していた部活の話になった。テニスやバレー、バスケなど色んな競技の話で盛り上がる中、僕が「サッカーやってました!」と答えると「やっぱり!」と返ってくる。

今まで何度も経験してきたことなので、もう動揺することはない。自分ではわからないけれど、僕は「サッカーしてそうな顔と体と雰囲気」をしているらしい。

どこが?と聞かれると答えられないが、客観的事実として認めざるをえない。昔、教会に行ったときに神父さんらしき人にも言われたので間違いないのだろう。異論は認める。

そんなこんなで話をしていると、ある質問をされた。

「なんでサッカーをやろうと思ったん?」

頭に浮かんだ言葉は「そこにサッカーがあったからさ」だったけど、まだ親密ではない関係の相手にそんなことは言えない。

「うーん、なんでやろ?楽しかったからかな?」

ものすごく無難でつまらない返答しかできなかった。他の人は「背が高かったから」「人数が少なかったから」「競技人口が少ないから全国大会に出れそうやったから」といった理由を答える。

たいした理由を答えられなかった僕は、みんな理由があって部活を選んでいたことに感心していた。

家に帰って考えた。なんでサッカーを始めたんだろう?初めてサッカーをしたときのことは鮮明に覚えている。小3の体育の時間だ。なぜかみんな「ハンド」ってルールを知っていたので驚いたことも覚えている。

それまでドッジボールとミニ四駆ばかりしていて、サッカーなんてなんの興味もなかった僕には衝撃だった。先生が簡単なルールを説明してくれて、とりあえずボールを蹴ってゴールに入れたらいいことだけはわかったので、さっそく試合をした。

試合開始から数分経った頃、僕には不思議な感情が生まれていた。

楽しい!!!!1

!が1になっても気にしないくらい、とにかく楽しかった。

自分の中の世界に光が差したような感覚があった。その時以来そんな感覚を持ったことがないので、僕にとっては特別な出会いだったのだろう。

ドリブルしてシュートを決める。パスしてシュートを打たせる。

それだけなのに楽しかった。周りより少しうまかったということもあるかもしれない。でも、それだけではない楽しさがあった。

抜く感覚、ボールがゴールに入る感覚、パスがつながる感覚、逆を取る感覚、すべて楽しかった。疲れるけど嫌じゃない。不思議な感覚。「楽しい」としか表現できない。

「なんでサッカーをやろうと思ったん?」という質問に対して「楽しかったから」と答えたことは、あながち間違っていなかったことになる。でも、この「楽しい」という感情を言語化することは、今もできていない。

「楽しい」ってなんだろう?楽ではない。笑うことでもない。充実感とも違う感覚。気持ちいい?近いけどなんか違う気がする。

もしかしたら言語化する必要もないのかもしれない。
決してめんどくさいわけではない。
この貴重な感情は、自分だけの感覚として持っておこうと思う。

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