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カルテットの考察 カルテット、みぞみぞ、歌詞の意味とは

冒頭のドラクエ演奏で心揺れ、小ネタで笑い、夢と愛の話で泣き、サイコパス女ありすに気狂い、カルテットに微笑み、クライマックスのどんでん返しに唖然とした。坂元裕二節炸裂。
あー、みぞみぞする。

■あらすじ
東京のカラオケボックスで偶然出逢った4人がカルテットを組んで軽井沢の別荘で音楽活動し夢を追いかけながら、互いの恋愛関係が変化しながら、出逢った時からすでについている嘘が暴かれていく話。

■解説
キャラクターとしては以下。
まき:プロの音楽家、既婚者
すずめ:まきに友達として近づき潜入捜査する、謎の過去を持つ恋愛下手な独身女子
別府:落ちこぼれのお坊ちゃまで、まきに好意を抱く、鈍感で真面目な学級委員タイプの独身男子
家森:独自のこだわりが強すぎてモテないバツイチ
というそれぞれ個性の違うキャラクター同士が旋律を奏でるように、ズレながらもコミュケーションしていく日常が魅力的なドラマ。
ある大きな事件やミステリーがありつつも、それよりも日常の些細なやり取りの方が大事であるという坂元裕二節が炸裂。
冒頭のドラクエの演奏や、まきの寝不足の原因がプレミアリーグオウンゴール10連発動画見過ぎなど、小ネタが世代的に響く、ノスタルジー消費も見事。
そして、すずめの「みぞみぞしてきた」というセリフ、国語辞典にない独自の言葉遣い、新しい概念の発明。

【1話】
ドラクエのテーマ曲をスーパーで演奏し、誰も聞いておらず、中学生だけがちょっと反応してくれるところ、からの火曜ドラマ カルテット、のテロップとオープニング。掴みが完璧で震える。
もう、30代の心鷲掴みーー!
しかもその次にいきなりクリフハンガー持ってきて、「あの女が殺したんです」「ついていいウソもあると思うんです」「愛してるけど、好きじゃない」と気になるセリフの連続、こりゃ見るしかないよ!となる。上手い。
そして次のシーンでは4人が唐揚げを食べるシーンで、レモンをかけるかけないのやり取りとなり、これも個性が出ていて面白い!
レモンを一度かけてしまうと不可逆、元に戻れないの、という、この不可逆性が、またこのドラマのコンセプトにも繋がってるというのが坂元裕二の脚本力の凄さ。しかもこのレモンをかけるかかけないか、その聞き方含め、のちの大事件の引き金にもなっているというのが二重三重に意味が掛かっていて凄い!
そのやりとりで飲んでいる飲み物でも、すずめ=コーヒー牛乳=子供っぽい、まき=ワイン=大人っぽい、の対比になっている。
1話のカギになるのが、自称余命9ヶ月のピアニストとの出逢い。
4人が仕事で演奏場所を求めて探し当てたお店に、そのピアニストが居座っているが、余命を過ぎても演奏していることから、まきがそれをウソと暴いて退去させる。そのバツの悪さがたまらない。
なぜなら、ウソをついてまで夢にしがみつくピアニストは、未来の自分たちを見ているかのようだからだ。
そのピアニストは明日のジョーの帽子を被っており、その帽子が最後飛ばされてしまい自分で取りに行けないのだが、それは燃え尽きることが出来ないまま終わることの象徴で、そんな惨めなピアニストと自分たちが重なるからだ。
好きなことで生きていくことに失敗した人間は、好きなことを趣味にして生きるか夢を追いかけるのか、でも夢を追いかけても燃え尽きることも出来ずに死んでいくかもしれない、そういった不安を抱えたまま4人は共同生活を進めていくことになる。
4人の過去も暴かれていくが、1話ではまきの夫が失踪中なのがわかり、このすれ違いエピソードの一つに唐揚げレモン問題が浮上するという、冒頭のやりとりの伏線回収になっているのが面白い!夫が疾走するなんてまさかの出来事が起こり、そらは元に戻らない、という不可逆性も、唐揚げにレモンをかけてしまうことの不可逆性と重複する。
「唐揚げにレモンくらいで」の言葉の重みが冒頭と後半と違う。これは、去年話題となったドラマ「silent」の1話の「うるさい」の言葉が冒頭と最後で真逆になっているのと同じ手法(silentの脚本担当の生方美久が元々坂元裕二のファンであることも納得)
夫婦とは「別れられる家族」というまきのセリフも、夫の「妻のことを愛してるけど好きじゃない」のセリフも重い。

【2話】
別府パート
一緒にいて気が楽な同僚の女性が結婚、まきさんに告白するもフラれ、同僚を略奪しようとするが時すでに遅し
同僚の結婚式に、アヴェマリアを演奏、よくカラオケで歌っていたSPEEDの WhiteLoveに途中で切り替えて演奏する(祝福と共に別れの曲となる)
4人でX JAPANの紅を歌って別府を慰める
この辺りから4人の少しずつの結束力が見え始める

【3話】
すずめパート
すずめは昔父親に騙され超能力少女としてテレビに出てウソがバレて炎上した黒歴史があり、そんな親父が病院で息を引き取るが会いに行かない、そんなすずめをまきは許す
「私たち同じシャンプー使ってるじゃないですか。家族じゃないけどあそこはすずめちゃんの居場所だと思うんです」
その言葉に泣きながらカツ丼を頬張るすずめに、「泣きながらご飯食べたことある人は生きていけます」

【4話】
家森パート
バツイチ子持ち、子供のたまに元妻と復縁心見るも玉砕
もしも結婚していなかったらなぁ、という禁句を言ってしまった、即退場

【5話】
別荘を売らず食っていくために別府の兄弟から仕事をもらうがこれが酷い仕事
音楽よりコスプレが大事、しまいには音源に合わせて演奏する振りで舞台に立つことに
注文に応えるのは一流の仕事、ベストを尽くすのは二流、明るく楽しく仕事をするのは三流、志のある三流は四流、だと
現実を知る、自分たちはプロではないと
そんな中、まきの夫失踪の真実を確かめるためにサイコパス女ありすの真髄が炸裂。
正義は大抵負ける、夢は大抵叶わない、努力は大抵報われないし、愛は大抵消える、夫婦に恋愛感情なんてあるわけないでしょ、と。
これは90年代までの日本批判にもなっていて、坂元裕二の言いたいことの真髄にもなっている
すずめは結局まきのストーカーをしてたことがバレ、逃げ出す

★【6話】
ここがカルテットのピーク。
逃げたすずめは偶然失踪した夫に出くわし、別荘に連れ込む。
なぜ失踪したのかの事実がわかる。
夫はまきのミステリアスなところが好きで恋愛感情を持ったが、まきは家庭に入りたがりミステリアスさが無くなり普通になった、夫が渡した詩集も一向に読む気がない、映画の趣味も合わない、唐揚げには勝手にレモンをかけられる、新しいカフェが出来たから誘っても寒いから家のインスタントコーヒーでいいでしょと出かけない、そんな普通の彼女に嫌気がさし恋愛感情がなくなった、愛しているけど好きじゃない、と。
一方まきはウソなく自然にいられる、と、夫とは真逆の感情を持ち、互いに完全にすれ違っていた
このあたりは、花束みたいな恋をしたの菅田将暉と有村架純が男女逆転した形で恋愛関係で描かれているすれ違いと全く一緒(カルテットの応用を花束でやっているということ)
恋に落ちて結婚したんだから頑張らなきゃ、という夫と、いつも明るくいるためにテレビで見た面白い話をしようと頑張るまき、それでも破綻
価値観が合うか器が大きくないと破綻
旅行先で出逢った結婚40年の夫婦を見て、「結婚して40年かぁって。」の言葉をポジティブに言うまきと、溜息をつきながら言う夫の違い
大事な詩集を鍋敷に使われた瞬間、夫のそれまで張り詰めていた糸がプツンと切れた、そしてマンションから飛び降りた
互いに求めていたものが違う、その話し合いをすべき夜に、お互い話し合いができなかった、気づけば夫は失踪していた
夫婦とは何なのか。毎日顔を合わせるけど男でも女でも家族でもない、それだったら一生仲良くできたのかな
まきの楽器を盗みに来たありすを夫が振り落としありすを殺してしまう、からのクリフハンガー
ここがカルテットの面白さのピーク

【7話】
ここからはシチュエーションコメディのような蛇足の展開。
実は殺してしまったと思ったありすは生きてて、まきと夫も会えて離婚

【8話】
最後の嘘とは?
すずめは実はまきの真相を確かめるための潜入、家森は実はまきのゆすり目的、別府はまきへの好意で偶然を装い近づいた、まきは実は既婚者だった、というのは1話で明らかになったがそれは嘘をついていた行為ではない、とすると、残る最後の嘘は?が暴かれる話
好きです、ありがとう、冗談ですーの3段活用で別府からまきへの告白と家森からすずめへの告白は玉砕
そして上り坂、下り坂を経験したカルテットの、まさかの到来
警察の調べて、まきはまきではなく別人だった。まさか!

【9話】
過去から逃げるために別人になりすましていたまきを3人は許す

【10話】
犯罪者として認知されたまきを筆頭に悪目立ちしたカルテットは売却予定だった別荘も売れなくなり、まきも失踪するが、音楽を通して無事まきも戻り、悪目立ちしたインフルエンサーとしてのカルテットはそれを逆手にとり大きなコンサートホールで演奏に成功
届く人に届けばよい、と。
途中、アンチからの手紙が印象的だった。
「みなさんの音楽は奏者として才能がない、世の中に優れた音楽が出来る過程で出来た余計なもの、価値も意味も必要もない、記憶に残らない、なのにこの人たちは何のために音楽やってるんだろう、早く辞めればいいのに。音楽を続けることは愚か。余計な分際で続けることに一体何の意味があるのか。教えて下さい、意味や価値や将来はあるのですか?なぜ辞めないのですか?教えて下さい」と。
コンサートを成功させたカルテットは遠征先に向かう。
おしまい。

■考察
・カルテットとは何か?
4人ことを指しつつ、仕事=夢、趣味、恋愛、結婚を指していた、そのバランスのことを語りたかったのではないか

・みぞみぞするとは何か?
夢を追いかけて期待しながらも叶うかどうかわからない不確実性や不安に震えている状態なのかなと。ムズムズ、もぞもぞ、ゾクゾク、未曾有、これらの言葉からイメージされる概念を組み合わせた造語だったのではないか

・まきは義理の叔父を殺したのか?
コンサートの初曲か死と乙女であることからおそらく殺している。また、コンサートの衣装で、すずめはピンクと白、家森・別府は白と黒、まきは全身真っ黒で、これは心情を表しており、まきが全身黒なのでクロであることが推察できる。逆に回想シーンで一番最初に4人がカラオケで出逢った時の洋服は、まきが白、それ以外の3人が全員黒であることから、この時は3人が黒い動機を持ってまきに近づいたことが証明できるから間違いないと思われる

・主題歌の歌詞の意味は?
「好きとか嫌いとか欲しいとか気持ちいいだけのセリフでしょ?白黒付けるには相応しい滅びの呪文だけれど。手放してみたいこの両手この知識、どんなに軽いと感じるだろうかこの言葉の呪いも鎧も全部脱ぎ捨ててもう一度僕ら出逢えたら。人生は長い、世界は広い、自由を手にした僕らはグレー、幸福になって不幸になって胸の裡だけが騒ぐ、大人は秘密を守る」
この歌詞を要約すると、言葉が定義する意味など捨てて自由になれということ。
言葉が定義する意味とは、カルテットが追いかける夢であり、カルテットが散々議論してきた唐揚げレモン問題であり、恋愛や結婚の好きとか嫌いであり、夫婦とはと言った定義のことで、これらは言葉で定義しようとすると白黒つけられるがそれは同時に滅びの呪文なのだと。そうやって言葉に定義されないものがカルテットの関係性であり、みぞみぞする何かであると。
大人は秘密を守る、とはやはり、まきが義理の叔父を殺していたことは秘密、ということ

・自分にとってなぜカルテットが響いたのか?
「才能も無いのに好きな音楽をすることに意味も価値もない、余計なこと、それなのになぜ続けるの?」の部分がガッツリ自分に響いてしまったから。
それはこうやって自分が才能もないのに好きな作品を考察することに意味も価値も必要もない余計なことなのに続けるのと同じ。そこに何か理由があるわけではないし、何かは求めていない。気づいたらしてる、それだけ。明るく楽しく好きなことをやるのが三流、そこに志を持つことが四流であっても、そんなことは関係ない。三流であろうが四流であろうが、気づいたら考察してるのが自分、というのとカルテットが重なったから。

以上。

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