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「森喜朗発言」は何が問題か

「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」「私どもの組織委員会の女性はみなさん、わきまえておられて」日本オリンピック委員会の評議員会で、東京五輪大会組織委員会会長で元首相の森善朗氏が行った一連の発言が物議を醸しています。(発言詳細は記事参照)

ネットは大荒れ。朝からTwitterは女性ユーザーと思われるアカウントを中心に怒りの声で溢れている。しかし、そこに私は強い違和感を感じました。

「あれ、なんで男の人はあまり声をあげないのかな?」

問題の本質

私は、この問題の本質は、森さんの発言から、主体的・積極的に発言する女性像を否定的に捉えるような考えが滲み出ていることにあると見ています。受動的・消極的な女性を「わきまえている」として肯定的に捉え、そうでない女性を「わきまえていない」として否定的に捉えている。これが騒動を大きくした、問題の本質だと思うわけです。

女性からすれば怒るのも当然でしょう。女性だって男性同様、積極的に発言・行動する権利があるし、それに、男性が積極的に発言すると「意欲的」と評価される傾向にあるのに、女性だと「わきまえない」とレッテル貼りされるのでは不公平感は否めません。中には生きづらさや疎外感を感じた女性がいても不思議ではないでしょう。

「女はわきまえろ」は社会全体の損失

一方で、このような森さんの発言は、見方を変えれば男性にも損失があると言えます。

会社や政府、議会から、部活や町内会に至るまで、組織の意思決定を行うにあたっては、幅広く様々な意見を吸い上げ、その上で判断を行うことが望ましいと言えます。昔から「三人寄れば文殊の知恵」と言うように、一部の人間の意見だけでは偏りが生じるし、素晴らしい意見の出現確率が下がってしまうからです。

だいぶ昔のエピソードを思い出します。
小学校の時、クラスでは「掃除を真面目にしない人が多い」という問題に直面していました。「清掃委員」だった僕を含めて5人は悩みます。「啓発ポスターでも作ろうか」「怖い先生に一発怒ってもらおうか」色々考えたけど、どれも効果はなく。困って帰りのホームルームでクラスのみんなに相談したところ、ある女子がこう言ったんです。「清掃委員が、その週で最も掃除を綺麗にしたと認めた班のメンバーは、次の週、給食の優先おかわり権をゲット。というのはどうですか?」と。その意見は拍手喝采のもと採用され、それ以来、清掃委員の言うことはみんなが聞くようになり、教室や廊下は軒並み綺麗になりました。(清掃委員になりたいという人もなぜか増えましたが…)

今思えば、清掃委員に権力が集中しすぎる制度だった気もしますが、当時としては本当に目から鱗の、ありがたい意見だったわけです。やっぱり意見は幅広く募りたいものです。

話を戻します。組織全体が、何かに忖度することなく、風通しよく、幅広く意見を出し合えれば、それは大変素晴らしいことです。イノベーションも生まれやすいでしょうし、問題解決のための最適解も見出だしやすいでしょう。そのためには「女性はわきまえろ」という考えは一掃しなければなりません。わきまえられては困るわけです。

ただでさえ、様々な社会課題を抱え、解決できず、イノベーションも低調という日本の現状です。「男女問わず積極的に発言して良い」「男女問わず主体的に行動して良い」そうした空気を社会全体で作って、みんなで知恵を出し合いながら、様々な困難を乗り越えて行かなければならないのに、それができないのであれば、私たち(男性を含めた)社会全体の大きな損失なのです。そうした意味から、今回の森さんの発言には、男性である私も問題意識を持っています。

さて、思えば先の例のように、小学校や中学校、高校では男性も女性も積極的に物事への意見をみんなの前で述べ、行動していた印象です。それが高校生活の終わり頃や、大学に入ると一変した記憶があるんです。何か「大人の社会特有の圧力」があるのでしょう。何が人々をそうさせているのか。何が私たちを抑圧してしまうのか。おそらく森さんの存在が諸悪の根源というわけではなく、今回の件はあくまで、氷山の一角が見えたに過ぎないことも意識する必要があるでしょう。


※メディアによる発言の切り取りではないかとの意見もあります。しかし、全文を読む限り、各メディアの発言の要約は概ね発言の真意を捉えていると考えます。もちろん、森さんからすれば誤解に基づいている可能性もあります。しかし、発言が人々にどのように解釈されるかは森さん自身深く考慮しなければならなかったはずです。
※森さんは他人の言葉を引用しただけだとの意見もありますが、たとえ引用であれ、それに同意する文脈で用いているので、森さん自身もそう考えているとみるのが自然です。
※「船頭多くして船山に登る」と言うように、意見を言う人が多すぎるのもいかがなものかとの意見がありますが、それは意思決定者が多すぎる場合の問題であって、意見をする人が多い場合は問題にはならないはずです。多くの意見から、意思決定者が適切な判断を行うことができれば何も問題になりません。


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