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此芽は何の草と知れるなり

満員電車に乗って神田に通っていた頃は、ただただ東京という街に飼われた魚のようだった。
Applewatchで改札を通り抜ける。ノイズキャンセリングのイヤホンを装着する。AIが管理する空調の効いた部屋で仕事をする。行動も体調も全てスマホが管理する。
毎日が目まぐるしく過ぎていく。皿洗いも洗濯も床掃除も全て家電に任せてしまう。気がつけば娘は走れるようになり、ジャンプも出来るようになっていた。

そんな生活の中では肌に触れる空気の温度や、スターバックスのビバレッジでしか季節を感じ取ることが出来ずにいた。生活はとても現代的なようでもどこか野生的であったように思う。水槽のレイアウトは季節ごとに変わることは無いものだ。

一年前、子育てに理解のある上司のおかげでリモートワークとなった。環境は目まぐるしく変わった。
保育園の開門を待つこともなくなった。娘には手作りの朝ごはんを作ることができるようになった。
皿洗いは自分ですると意外とストレス発散になることがわかった。

桜が、木蓮が、雪柳が咲いた。 灯台躑躅は可愛らしく揺れていた、燕の巣を探した。
菖蒲を湯に浮かべた、紫陽花が濡れていた、藤棚を見上げた、夏椿をひろった、茅の輪をくぐった。
朝顔に覆われた家を見つけた、いたるところで萩を見た、薄を飾ったけれど、満月の日は雨だった。
紅葉が、灯台躑躅が赤く赤く燃えていた、椿を覗いた、柚子を湯に浮かべた、目を閉じて一年を振り返った。
艶やかな蝋梅に、雪空に笑う梅に、寒い時期を楽しんだ。鳥は春を呼んでいた、水仙が私を見ていた、桃が笑った、そしてまた桜が咲いた。

めくるめく四季の移ろいの中で花々の美貌に目を奪われながら、青々と茂る新緑も、新しい季節を呼ぶ雨も、葉を落とし眠りにつく木々たちも、それぞれに眼を細めては耳を澄ませた。

嫌なことは沢山あったけれど、季節が私の背中を押していた。Apple WatchやAirPodsでは得られないライフハックがそこにあったように感じる。

この度娘は3歳から通える幼稚園に入園した。
保育園とは違ってお昼寝もない。水筒と弁当と、いろんな荷物が入ったリュックを頑張って背負い、幼稚園のバスに乗った彼女は振り返らない。

はらはらと散る桜の花びらに見送られながらバスは幼稚園に向かって出発する。
植物たちと同じように、彼女も目まぐるしく成長していく。

万物発して 清浄明潔なれば 此芽はなんの草と知れるなり


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