ムラ社会と思春期

中学生の頃、告白されたことがあった。
多分今ぐらいの季節だったと思う。初冬の海沿いの通学路は、雪が振っていなくとも全体的に白みがかっていた。
彼の赤みのある顔色と真っ黒な髪と瞳は、その景色にとてもマッチしていた。告白の言葉は至ってシンプルだった。

確かわたしはそんな彼をまじまじと見つめながら、
何言ってんだこいつ。と思っていたのだ。


なんせ十数年も過去のこととなると衝撃的な出来事ですら記憶は断片的になる。確か動揺して、お気持ちだけ頂きます的なババ臭い台詞を吐いて誤魔化したんだと思う。

地元はムラ社会の根付いた田舎だった。あのとき私の頭の中には、うっかり彼と付き合ってしまったばっかりにご近所の人々に不純異性間交友だと囃し立てられる自分の姿、というわりとリアルな妄想がハイスピードで駆け巡っていた。流れ星より早かったと思う。

彼は同級生何人かと集ってスマブラをやるメンバーの一人だった。田舎といえどムラ社会のルールさえ守っていれば家庭の躾には甘い家庭も多かったので、娯楽施設がないせいもあり、テレビゲームのある家庭が多かった。
逆に言えば、虐待レベルの厳しい家庭もあったが、『よその家の大人のする事には口出ししない』という厳格なムラ社会ルールの下、蓋をされてきたのである。

キノコのように硬直しながら『オキモチダケ…』と口にしていたあの瞬間、わたしは『大人たちに変な風に噂されたくないなあ』ということしか考えていなかった。
自分たちの性愛はベールの向こう側に隠すくせに、子供のする恋愛は容赦なく性欲と結びつけ、まるで発情期の動物だとでもいうように笑い物にする。そんな大人たちの方が中学生の恋愛よりもよほど生々しかった。

彼に対しては恋愛感情に近いのか近くないのかよく分からない感情は持っていたけれど、それを確かめようとは思わなかった。私はあの時、スマブラのことも、彼自身の事ですら、何も考えることができなかったのだ。


盆に帰省した際には、改めて故郷は美しいなと思った。
高台から街を見下ろすと、水面が太陽の光に照らされてゆらゆら、きらきらと輝いている。
海鳥が会話している。濃い色の瓦屋根。活動する人々。木々のざわめき。
こんな美しい世界の中には、いつも透明な悲鳴が潜んでいる。

東京に帰るとき、テレビゲームを持ち帰ったものの、もうプレイしないだろうな、と思った。
東京のきちんとしたお家で生まれ育ち、テレビゲームなんてほとんどした事がないという夫とスマブラをしたところで何一つとして楽しそうではないことは明らかである。


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