あんたが「あんたである」ことを発信する意味
あんたは、読書するほうかい?
俺は、結構読む方だけど、アウトプットを都度都度出来ていないから、結構無駄に本を読んでしまっていることがあるって最近思っている。
今回は、最近になって自分が知った「しるし書店」というサービスについての話だ。
こいつだな。ざっくりいうと、いろいろな本に蛍光ペンやメモ書きが加えられたものを売り買いできるサービスだ。
なに?古本屋ってことかって?
ちっと違う。しるし書店は本というよりは、本をみて○○さんが何を感じたかという読み手の観点を売り買いするサービスだ。
何が違うのかって?
それについてはこのサービスの発案者である西野亮廣さんの言葉がわかりやすい。
「例えば、普通の参考書と東大生が書き込みした参考書ならどっちが価値があるか」
出展:http://www.kamepyon.com/entry/2018/03/08/002643
確かに!まっさらな参考書と東大生が受験で使った参考書なら、後者のほうが圧倒的な価値を感じるよな。
これって、結構な意味を持つよな。
東大生の例はわかりやすいが、どんな属性の人でもその属性の人の視点ってのはマッチングさえ出来ればものすごい価値を創出する可能性があるってことだからな。
例えば、俺はシステムエンジニアだが、例えば話題になっているプログラミング教育に関する本に、システムエンジニアとしての観点でメモや蛍光ペンでの線が引かれている本だったら、それなりに価値を認めてくれる人もいるんじゃないか?
同じように、あんたの属性を絞り込んで、その属性にあった本を「しるし本」にすることで、あんたの価値ってやつを世の中に流通できるって意味になるもんな。
その属性ってやつは割と何でもありな気がする。
ロックが好きなやつがローリング・ストーンズのこんな本にしるしをつけていたら、同じロックを好きなやつにとっては、価値が出てくる気がしないか?
ただ、このサービスの前提にはいつものように「信用」ってやつがある。
例えば、あんたがどれだけロックを好きでも、そのことについて俺たちは全く知らない。そうだとすると、あんたがつけた「しるし」に俺たちが価値を感じることが出来ない。
だから、しるし本に価値を感じてもらうためには、そのしるしを付けた人の人となりってやつに意味が出てくるって話になる。
つまり、俺たちは俺たちが何者なのかってやつを世の中に発信していくことに価値が出てくるって話だ。
そう思って、自分のnoteの記事を振り返ってみると、まあ、俺自身のことをあんまり書けていないってのを改めて思う。
自己紹介ページくらい作っとけって話だな!
あんたは、自分が何者かって発信しているかい?
あんたは、何者なんだい?
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