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バーチャルが個人の影響力を増加させた世界

ヴァーチャル・リアリティ(VR)って言葉はあんたは聞いたことあるかい?

俺は大学の卒論でVRを取り扱うくらいいっときはのめり込んだんだが、最近になってこのVRがインターネットという場を得ることでどんどんと俺たちの生活の中に入り込んできている。

俺たちはなんでこのVRに魅了されているのか?

今回はその魅力がどこから来ているものなのかを考えてみる回だ。

なにげに観念的な話になりそうだけれども、まあ、付き合ってくれよな。

VR技術が生まれた時

VRは結構な歴史がある。いわゆる立体視を用いた玩具は19世紀にまで遡ることが出来るらしい。

人間の得る情報の8割は視覚から来るというのがよく言われているよね?

歴史的に見ても、まずは視覚をどうにかしようと人間は考えていたってわけなんだろう。

でもそれほどまでにして、なぜ現実とは違うものを見ようとしていたんだろう?

現実が辛いから?見たいものを見ることが出来ないから?

多分、本質はそこじゃない。
きっと、人間は現実とは違う光景を見て「オモシロい」と思ったから何だと思うんだよね。

VRがもたらすオモシロ

VRがもたらしてくれるオモシロってのは何なのか?

結構、深い話がそこには横たわっていると思うんだ。現実とは違う光景。それが俺たちに何を与えてくれるのかって話だ。

こんな話がある。

動画配信最大手のYouTubeでは、バーチャルユーチューバーと呼ばれる架空のキャラクターに扮した動画配信が花盛りらしい。

このバーチャルユーチューバーってやつは、今までであれば、アニメーションの動画を作り上げるためのコストがものすごすぎて、手が出なかったわけだが、配信者側がヘッドギアをつけて撮影することで、配信者の動きをトレースして動画に仕立て上げてくれる仕組みが出来て、下手すれば個人でもこの手の動画を作れるようになってきているわけだ。

この動画なんて、ひたすらにゲームの失敗を繰り返しているだけなんだが、なんだろう、最後まで見させるような力がそこにはあった。

これをVRというカテゴリにしていいのかってあんたは思うかもしれないよな。

まあ、確かにVRというよりはAR(拡張現実)もしくはMR(混合現実)という感じかもしれないな。

それだけ、俺たちの今の世界は世界に対する表現方法が変わりつつあるってことなんだと思うんだ。

SNS時代におけるVRのもたらすもの

facebookを始めとした多くのSNSが俺たちにもたらしているのは、俺たちが誰であろうとも発信者になりうるという世界観だった。

その世界観に則って、俺たちは多くの発信をしている。ブログだったりTwitterだったりfacebookだったりな。

その中でもひときわ影響力が高いのが動画配信ってやつだ。

ところが、動画による配信ってやつにはいくつかのハードルがある。

例えば、俺のように文章で書くことは出来るけれど、音声で伝えるスキルってやつには手を出していないやつもいっぱいいるよな。

でも、例えばこのnoteを動画に簡単にできる技術が出来たらどうなるんだろう?

TwitterでのつぶやきがVR技術で表情豊かなキャラクターがつぶやくように見えてきたら何が起きるんだろう?

そして、その技術が5Gのようなインフラに裏打ちされて、誰もが誰かのつぶやきをその表情と共に受け取れる世界が来たら何が起きるんだろう?

今までのインターネットでの発信は言葉が中心だった。でも動画による配信が技術的には可能になってきたことにより、人々の興味は動画へとシフトしていっている。

小学生でもYouTubeは夢中になる。ブログを読んでいる小学生は稀だろう。

それほど、動画ってやつは力を持っている。

その動画をVRという技術が俺たちの表現方法として根付く時。
俺たち個人が持つ発信力というのは今まで以上に大きくなる。

マスコミのように、報道の裏打ちをとることもなく、俺たち個々人が思ったことをストレートに世の中に出す様になる。今までとは比べ物にならないくらいの影響力を持って。

その世界観。俺たちの生活に結構な変化をもたらすはずだ。

その変化に俺たちは対応していくことが出来るんだろうか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは10年後の世論構成のプロセスがどうなるかを想像できるんだろうか?

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