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継続するって娯楽

あんたも何か継続していることってあるかい?

俺はこのnoteも毎日投稿させてもらっているが、それ以外にも毎日の筋トレとか、ダイエットのための食事制限とか色んなものを継続している。

でも継続していても、なにか結果を伴っているかというと、そうでもない。

よく、継続のためには、継続による成果のようなものを実感することが大事だって聞くよな。
でも、俺の場合はその結果ってやつをわかりやすい形では実感しているって感じがどうもしない。

じゃあ、なんでオマイは続けているんだ?って話だよな。

今回はこの継続ってやつについてちっと考えてみようと思うんだ。

継続することって、大事なことなのかね?

まずは1年毎日投稿してみた

このnoteも1年以上毎日投稿してみているんだが、びっくりするくらい読まれていない。
他のSNSとの連携をしてみていても、そもそもSNSでの認知度が低いから全然読んでもらえていない。
立てて加えて、SEOなんて微塵も考えていないから、検索エンジンからの流入もきっと少ないんだろう。
※この辺のアクセス解析の機能はnoteに必要だと思っているのは俺だけか?

その代わり、読んでもらえたヒトには、ほっこりした何かとか共感とかそういうモノを持って帰ってもらえると良いと思って書いている。

実際、俺が毎日書いていて思っているのが、1ヶ月後に自分で読んだらオモロイと思えるものを書いていきたいってことなんだよね。

俺の場合、詳細な記憶をずっと保つなんて特殊能力は無いから、昔の投稿を見てみると、わりかし新鮮な気持ちで読めたりするんだ。

毎日投稿で得たもの

で、その毎日投稿によって、俺は何を得ているのか?

多分、文章を気軽に書けるようにはなったと思う。

何かを感じたのだったら、それを記録に残しておくことによって、俺が感じてそのまま消え去っていく感情ってやつを形に残せている。

結構、この安心感のようなものって大きいかもしれない。

過去の俺の投稿を読み返すと、今この瞬間の俺が感じていることと割とギャップがあることに気づくことができる。

そう。過去の自分ってやつがまるで他人の意見のように感じられる瞬間があるんだよね。

この自分自身を客観視するきっかけを与えてくれているってのは割と大きいのかもしれない。

それと、当然ながらnoteに対して反応してもらえることは至上の喜びだ。

ワリカシ気に入ってもらえたヒトから継続的に反応をもらったりすると、「ああ、あのヒトにむけた記事を書いてみようか」とか普通に思う。

これも大きいのかもしれないな。

継続によって得るもののために継続しているのか?

確かに継続していることによって得たものもある。

でもそれは、何か生活を成り立たせるような何かではなくて、自己満足の部類のものでしか無い。

それでも俺はなんで継続しているのか?

きっとそれは、「俺が俺らしいと思っているから」なんじゃなかろうか?

昔から、俺らしいってどういうことなのかってずっと考えてきた。
頑固で、理屈屋で、融通がきかない。
そんな俺が何かを考えて表現するってこと。

その事そのものが俺が俺自身にもとめていることなんだと思うんだよね。

そう。つまり、俺は俺らしくあるために継続しているってことなんだ。

これって結構大切なことなんじゃないかと思う。
要するにアイデンティティを明確化するために俺は書き続けているってことだもんな。

アイデンティティを外部化すること。
そいつは、俺という人間を楽しんでもらうってこと。

だとすれば、このnoteは俺という人間の名刺代わりってわけだ。

香坂兼人という人間がこんな事を感じて、こんな風に考えた。

そいつが誰かのエンタメになるのかもしれない。
そいつは、なんつーかエキサイティングだ。
これ以上の娯楽があるだろうか?

なあ、あんたはどう思う?

俺やあんたの感覚が誰かのエンタメになるって信じることができるかい?

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